永遠の宗教論争
先日とある飲み会に出席したところ、同席していた30代後半の女性2人が口論を始めた。口の端から泡を飛ばしていがみ合っているので、「いったい何が原因か?」と尋ねてみると、何と“松田聖子と中森明菜、どちらが歌手として優れていたか”という議論でヒートアップしてしまったのだという。
“聖子派”と“明菜派”って何で仲が悪いの?
これは確かに難しい問題だ。
私はどちらかというと「明菜派」だし(でも、心は木之内みどり様に捧げているが)、今になっても松田聖子には何の興味も持てない。
しかし、どちらが「勝ち組」かというと、これは書くまでもないだろう。
どんな話題をも自分のイメージアップに変えてしまう松田聖子と、やることなすことが裏目に出ている中森明菜では、今となっては比べる事自体がおかしい、と言われてしまうかもしれない。
とはいえ、当時は二大巨頭だった二人が、対照的な人生を過ごしてきたというのは興味深いことだ。これは単に生き方が器用か、不器用かの問題でも無いように思われる。セルフイメージのコントロール術を身につけているのか、いないのか、の違いでもあるのではなかろうか。
または、周りから何を言われようとも、自分のスタイルを押し通して世間を「認知」させてきた松田聖子の強力な自我が抜きんでているというだけの話なのだろうか。で、中森明菜には残念ながらそれが無いと。
一つ言えるのは、松田聖子は、自己演出術の天才だということだろう。この点だけは、事実として認めるのにやぶさかではない。実際、凄いと思うもん。
でもまあ、中森明菜も少しずつではあるが浮上しつつあるし、戻ってくれれば、それはそれで楽しいから良いんだけどね。
ところで、この二人って、不仲説と仲良し説の両方があるんだけど、真相はどっちなんだろうね。
タルコフスキイ監督に捧ぐニュース
世界中の都市オタク達が集まる掲示板「skyscrapercity.com」において、“世界一未来的な都市”決定戦が開かれ、東京が見事その栄冠を手にした。
世界の都市オタクが認定 世界一未来的な都市に東京
一位の東京は97票(41.1%)を獲得し、二位のドバイ52票(22.0%)、三位の香港43票(18.2%)、四位の上海41票(17.4%)、五位のソウル3票(1.3%)と他を大きく引き離した。
実際に住んでいると実感は湧かないが、いったん外に出てみると首都圏近郊の凄さを実感する。
たしかに、東京は物凄いところだと思う。
こんなに地震の多い国に高層ビルを建てまくるというのは無謀なような気もするが、実際には高度な耐震設計で対策がなされ、あちこちに背の高い建物が土筆のごとく建ち並んでいるという風景は圧巻だ。夜にレインボーブリッジのあたりから眺める東京の光は、非常に幻想的で美しいと思う。今では古くなったし、渋滞も凄いが、「首都高速」という土木事業は、タルコフスキイ監督が「未来都市だ」と感じるのも無理は無いと実際に納得できる。そして網の目のように整備され、どこへ行くにも苦労しない鉄道網と地下鉄網の完備、これは世界中に誇れる大事業だろう。
しかも、東京の中には古い街並みも残っていて、そのギャップが逆に絶妙な味になっている点も凄い。
そして、箱だけではなく、中身の面でも、今や東京は、日本の代表的な都市として、ファッション、ライフスタイル、映画、J-POP、アニメ、ヲタク文化の発信地でもある。
都市として、最先端のソフトとハードを兼ね備えた東京は、日本人の「折衷案が上手い」という絶妙なバランス感覚の上に構築された奇跡なのかもしれない。
タルコフスキイ監督が「惑星ソラリス」の中で、東京を未来都市のモデルとして紹介したが、東京はその当時から変わらず進歩し続けているのだと言える。
風水を信じる気にはなれないが、「帝都物語」では「東京」という土地の特殊さが語られたが、そんな話も納得できてしまう不思議な場所だと思う。
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喧嘩両成敗とは言うが(池内ひろ美問題)
まだ記事がネットに上がっていないので、まず概要を書いておく。これまでの経緯は↓のニュース参照。
評論家ブログ炎上問題でついに逮捕者
池内ひろ美という人が、居酒屋で居合わせたトヨタの期間工に関して、「向上心が無い」とか「トヨタを漢字で書けるのか」といった、明らかに見下したようなエントリをblogに書いた。実際、そのエントリを読んだが、普段は寛容な私でも不愉快になるくらいの酷い内容だった。
そして、2ちゃんねるで話題になった。「祭り」だったと言ってもいいだろう。そしてblogが炎上。しかし、池内ひろ美の側は、訂正も撤回も謝罪もしなかった。
そこまではよくある話なのだが、放送局に苦情が寄せられてメディアへの出演中止、脅迫騒ぎで講演が中止、逮捕者を出すまでになった。
確かに、逮捕者まで出した2ちゃんねる参加者達のエスカレートは、非難されてしかるべきだろう。一種の「ヒステリー状態」になってしまったのかもしれない。
しかし、明らかに「失言」をしたのは、池内ひろ美の側だ。そして、その意図があったにせよ無かったにせよ、「誤読」されかねない内容だったと認めなかった池内ひろ美の側にも問題があったと言わざるをえない。読者には書かれた文章を自由に解釈する権利がある。根も葉もない明かな言いがかりだったらともかく、「プロが誤読されかねない文章を書いてしまった」という点を省みる必要があったのではないかと思っている。
そのようなわけで、私は、今回の件を、「どっちも適切な対応を誤った最悪な例」だと考えている。
そして、その話題が今朝の朝日新聞に取り上げられた。その中で歌田明弘が、次のようなことを書いていた。
現実社会へも圧力を及ぼそうとするネット側の手法はエスカレートしてきている。ただネットからの働きかけに対し、企業やメディアが過剰反応して「成果」を与えれば、標的にされた個人はいよいよ過激な反応にさらされ、「ネット世論」を刺激するようなことは言えない社会になってくる恐れがある。不用意に対抗する必要はないが、あっさり譲歩すべきではない。
この文章を読んで私は呆れてしまった。何か言っているようで、実は何も語っていない。歌田明弘は、この文章で何を語りたいのだろうか。池内ひろ美と2ちゃんねるの両方、そしてメディア側の対応に対して、何をアドバイスしようとしているのだろうか。
まず、池内ひろ美に対しては、何も言っていない。
そして、ネットに関しては、何もわかっていないような言説でお茶を濁している。
そもそも、「ネット世論」って何だろう? 「ネット側」って何のことだろう? 歌田明弘は「ネット側」という非常に抽象的な存在を「ショッカー」か何かのような「組織」だとでも思っているのだろうか。それはすでに「妄想」だとしか言いようがない。
柳沢大臣の件でもわかるように、影響力のある人がヘタなことを言えば、「報道」も「世論」も騒ぐ。それはネットであろうが、現実であろうが関係ない。「現実社会へも圧力を及ぼそうとするネット側の手法」と書いているが、ネットも現実の一部だ。なぜここで、わざわざ「現実vs.ネット」という対立構造で語らなければならないのだろうか。意地悪な見方だが、歌田明弘は、「ネット世論」というものを、「制御の効かない厨房の塊」だと誘導しようとしているとも読めてしまう。しかし、先にも書いたとおり、世論には、ネットもリアルも無いと思うのだ。正しい事をすれば、みんな感心するし、ヘタを打てばバッシングを受ける。ただそれだけのことだ。「ネットの脅威」を過大に評価しすぎているように思える。
そして、メディアに対しては、「不用意に対抗する必要はないが、あっさり譲歩すべきではない」という「じゃあ、どっちにすれば良いんやねんっ!」というツッコミどころ満載の、意味不明の文章を書いている。
朝日新聞には、歌田明弘が、「ネット社会に詳しいジャーナリスト」と書かれているが、そんな訳はないと思う。私的には、歌田明弘は、たんなる何もわかっていないネットゴロとしか認識していない。朝日新聞は歌田明弘のネームバリューだけに騙されて、何の内容もないばかりか、馬鹿を晒す文章を掲載してしまったとしか思えない。
脇が甘いね。