「無題ブログ」管理人との対話

   大野の日常さんに答えます。
 意外なことに、きちんと答を書いてきたので「チキン」という表現は取り消しましょう。しかし、何も考えずに脊椎反射で「平和ぼけ」などという言葉を投げかけたことに対する説明がありません。
 立法の理念、人権が平等であること等、基本的な知識が不足していると思われるので、反駁します。

私は私の意見を書いてます。
2ちゃんのレスをピックアップしてるのは面白い書き込みや意見の多い書き込みなどです。
2ちゃんねるを理解してない人には、理解するのは難しいかも知れません。
大野さんの指してるのは2ちゃんねる一部のユーザーの意見です。
私の意見ではありませんよ。

 編集という概念をご存じですか? 私は該当する2ちゃんねるのスレッドには目を通しています。
 その中で、「面白いと感じた意見を抽出する」という編集行為は、自己表現と同じです。私の本業は編集者ですので、編集の仕方で白も黒に変わることは知っています。これは明らかに責任転嫁です。
 2ちゃんねるユーザーに責任を転嫁させないでください。その発言を抽出した時点で、自分の意見を代弁させよう、この発言には共感できるという意図が入り込む、という単純な思考方法がなぜわからないんですか?

私が書いてる意見は、自分の欲で起こした故意の犯罪者(愉快犯)に対しての意見です。
大野さんが記事で書いてたのは加害者全体でしたね。

 これも思慮が足りないと言われても仕方がないでしょう。「故意の犯罪者⊂加害者全体」なんですよ。どう区別を付けるんですか?
 それから、d:id:oredocoさんがそのコメント、ダメダメで興味深いことを書かれているので、ちょっと考えてみてください。

(2)故意の人殺しや強姦については人権要らないと思います。
それが成立するなら、それはもう人権ではありません。人権とはなにか?というところから勉強しなおしてください。
(3)何を平和ぼけなこと言ってるんでしょうか。
自分の家族・子供・恋人が、「故意の人殺しや強姦」をした場合、あなたは、無情にも家族、子供、恋人に人間のカス、死んでしまえ。死刑になってしまえと応援してあげれますか?
また、自分の家族・子供・恋人が、何かの手違いで冤罪になっても守ってあげることは可能ですか?

 つまり、そういうことなんですね。人権という概念を取り去るということによって発生するデメリットを全部引き受ける覚悟があって書いているのか? とてもそうは思えません。私が以前に指摘した冤罪での人権剥奪、自分の身内から犯罪者が出た際に感じるであろう不公平感に対する想像ができていません。
 「殺してやりたい」と思い、それを実行する。その動機は裁判の中で立証されるものです。「情状酌量の余地がある故意の殺人」なのか、「情状酌量の無い故意の殺人」なのかは、裁判を通してしか判断されるべきものではありません。
 「人権」の中には、「公正な裁判を受ける権利」も含まれています。裁判を受ける前に「こいつの人権は剥奪だ!」などと、誰が判断するんでしょうか? これ、前後で矛盾していませんか?
 もし、警察などがこんな権限を持ったら、すぐに「魔女狩り」とか「ナチスユダヤ人狩り」が始まるという事、これ、わかりますか? そんな警察権力の恐怖に脅えて暮らす社会をお望みですか?

大野さんの意見を一通り読んでコメントなどをしてみましたが、何が正しいか、何が間違っているかを定義つけたいように感じました。

 これも違います。法で定められている事を誤解している人が多く、自分が当事者になる可能性に考え至らず、感情論で「殺してしまえ!」とか「人権などいらん!」という暴論を吐いているような事件に対して、私は近代社会以降に定められた法治の理念と人権という概念、そして自分もその概念によって守られているのだから、すべての人に公平であるべきだと言っているだけです。
 私は自分の「正義」で定義などはしません。「人権が蹂躙されているのは見過ごせない」、「不条理な立場に置かれている人は放っておけない」と、常識的なことしか書いていません。

もったないのがチキンと言う言葉を使ってたことなどです。
もう少し冷静になって優しく書けば、もっと大野さんは支持されると思いました。

 どの口が言いますか? いきなり、何の考えもなく「平和ぼけ」などという侮蔑語をぶつけてきたのは誰でしょうか? 上から目線で人をバカ扱いしたのは誰でしょうか?
 私は現行法の理念を書いただけなのに、それに対して「平和ぼけ」という言葉は適切でしょうか?

普通の人が実名で名前をだしてブログを書くことに、チキンとかチキンじゃないとか意味があるのでしょうか?

 匿名であることに対して「チキン」と書いた訳ではありません。これは不幸な行き違いだったのですが、ニュース欄の削除やTBが反映されない事を故意の行為だと勘違いしたためです。

そのような表現方法をすることによって、記事を読んでくれた人が、この人(私)は加害者への人権をよっぽど嫌がってると伝えることが出来るからです。

 不必要なまでに厳罰化を求める、近代法の理念を否定して時代を逆行させるような行為、こういう行為は一般的に「右翼的言動」だと受け取られます。私は、「無題ブログ」の管理人さんを、「当たり前かつ平等に与えられるはずの人権という概念を否定し、肯定する側に対して『平和ぼけ』という言葉を使う人」だと認識しました。なので、今でも「ネット右翼」であるという認識は変わりません。
 以上、ご理解いただけましたか?
 「無題ブログ」の管理人さんのお考えは、逆に権力の暴走や、不意に襲いかかってくる冤罪、身内から犯罪者が出る可能性など、現実に起こりうる危険性に対する危機感が足りなさすぎるように思えますね。
 はっきりと書いておきますけど、そのような「自らに及びかねない危険に対する意識が薄弱な『平和ぼけ』な人」は果たしてどちらなんでしょうね。


##参考:日本国憲法第11条「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」という訳なので、裁判の結果によって有罪が確定して収監されるといった際に「最小限の人権への制限」は起こりますが、それ以外の「人権の剥奪」は憲法違反だということが基本です。もし、それをやりたいのであれば改憲運動から始めてください。できないのであれば沈黙してください。「主張だけしている」というのは虚しい行為だと思います。


##蛇足:日本国憲法第97条「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」ってあるのですが、すごく立派な条文だと思います。この理念に反論・反発するのって、かなりの度胸が必要か、それとも歴史を知らないか、知っていてもなお昔に回帰したがる恐怖政治論者だと思われます。

弘法大師も筆は選んだと思う

北京五輪の競泳日本代表が、世界新記録を連発しているスピード社の新水着「レーザー・レーサー」を着られる可能性があることが5日、分かった。違約金などの大きな障害なしで日本水泳連盟が同社と4社目のオフィシャルサプライヤー契約を結べることが判明。7日に行われる日本水連の常務理事会でスピード社との契約を求める決議がまとまり、ミズノ、デサント、アシックス3社の同意が得られれば、北京五輪で“スピード水着”を着て戦える。

日本競泳陣に朗報!スピード社水着着られる!

 これまで契約していた国内メーカーは気分が悪いだろうが、実際にウェアの品質で記録が変わるという事が明らかになっている以上、選手の希望を飲むのは当然のことだろう。
 「運も実力のうち」とは言うが、「道具も実力のうち」である。まあ、私がやっているスポーツはあまり道具に左右されないから気にしていないのだが、ウェアやシューズ、ラケット、クラブなどの品質で記録が変わってくるとなったら、「道具の選択」も実力のうちだという話になってくるわけだしね。
 やはり、弘法大師とて、筆一本で全ての表現ができるなどということは無かったと思われるので、それと同じように、どんな世界でも道具に対するこだわりは必要だろう。
 まあ、私も職業柄、辞書に対するこだわりはあるし、表現方法に対するこだわりもある。未だに万年筆を集める癖が治らないのも「書く」ということに対するこだわりを持っていたいからだろうし……。
 ちょっと話はそれたけど、Speedoのウェアがベストということになっているのなら、みんなSpeedoで統一して、公平な条件で競って欲しいよなぁ、とは思うね。だって、アスリートの技術じゃなくて、メーカーの技術で競われるスポーツって、つまんないじゃんね。

魔法の着衣

4月29日の織田記念では百メートル障害で転倒。ハードル設置ミスで左すねを激しく擦りむいた。傷あとから雑菌が入るのを防ぐため、この日は初めてタイツ姿で登場。「いつものブルマーの方が動きやすい」が、細かい差は気にしない。

女子走り幅跳び・イケクミ初タイツ姿でV 「ブルマーの方が動きやすい」

 うーん、動きやすいけど恥ずかしい。うーん、なかなかに女性は矛盾を抱えているのですなぁ。シミジミ。
 しかし、元々は女性解放運動のシンボルだったものが、逆に女性に羞恥心を感じさせるものになり、男性からは「萌え」対象になり、性犯罪を誘発し、さらにはジェンダーフリー論によって廃止されるとは……歴史とは皮肉なものである。考案者であるアメリア・ブルマー女史はこのことをどう思うだろうか?
 とはいえ、時代と共に二転三転しているのはブルマだけではない。競泳水着のハイテク化による極度に薄地化し、さらにはハイレグ化したといった露出の高さがエスカレートした時代もあったが、いまではハーフパンツ型が普及してきている。しかし、海などで見かけるのはビキニ姿のお嬢さんが多く、ワンピース型はあまり見られない。恥ずかしさとお洒落、機能性といった数多くの選択肢から抽出され選択される……うーん、女性の着衣は奥が深い……。
 そして、男は、そういった女性の選択に対して、いちいち「萌え」ているのである。
 この世の中の複雑さというか、多様さというか、業の深さを見るような気がするね。