そしてさらにこんな記事も……
「天才」の真意どこに ウィニー開発者起訴
この記事が最も「痒いところに手が届いている」という感じ.ただ,一番最後の段落に関しては物凄く大きな違和感を感じるけど(^^;;;;
記事によると,なんでも,
そうである.
ウィニーを配信していたホームページでは「従来のデジタルコンテンツビジネスモデルはすでに時代遅れ」と指摘、「デジタル証券システム」といった試論も展開していた。
試論を展開していたということは,それなりの「展望」があっての行為だったということになるのだが,話の順序としては,まずその試論を世間に問い,その評価を受けてから実行に移せば問題は無かったということでいいのだろうか.
しかし,この場合,試論と実証の順序だけが問題だったのだろうか.話が飛んで申し訳ないが,かつて大山倍達先生は次のように仰った.
この言でいくと,たとえ,どんな立派な試論を作り上げようとも,それこそ「実践なくんば証明なし」で,試論だけで何もしなければ(または何か実績が無ければ)机上の空論として一蹴されてしまっていたかもしれないということも考えられる…….しかし,「実践なければ」といって実際に「やって」しまい,それが「問題のある行為」だったということになると…….うむむむ,ここから先は「鶏と卵」の話にしかならないなぁ…….
実践なくんば証明なし
証明なくんば信用なし
信用なくんば尊敬なし
今すぐに結論を絞り出す必要は全く無いのだが,しいてまとめるなら,今回の問題は,やろうとしたことが大きすぎたこと,そして現在のネット社会がこの試みを前向きに受け止めて実践できるほど大人の社会になっておらず,逆に「黒い人達」が群がってしまった結果,事件にまで発展してしまったということでいいのだろうか…….
うーん,やはりこれは,長い時間をかけての議論が必要な話題なんだろうね…….