不寛容は反発を生む

   規律厳守の生徒指導、違反たまると退学も 高校で試み


規律を厳しく守らせる「ゼロトレランス」(寛容度ゼロ指導)という米国の生徒指導法が全国の高校に広がり始めている。違反が一定回数に達すると出席停止などの罰を定め、必ず守らせる「ぶれない指導」が特徴だ。厳しい指導が日本の教育風土にどこまでなじむのか。現場を訪ねた。
自転車の二人乗りはレベル2、喫煙はレベル3、教師への暴言はレベル5などと規律違反を5段階に分けた。レベル5は一度でもやれば、無期謹慎か退学処分となる。
「社会の厳罰化が進んでいるのだから、学校でもそれを実感させなければならない」
「我々は警察ではない。子どもを育てる現場で、機械的な対応で良いのか」
 私が卒業した高校は、管理教育で悪名をはせる愛知県の中でも特に厳しく、一から十まで校則で縛られ、酷い話、自由はいっさいなかった。とにかく規律、とにかく全体行動。まったくもって滅茶苦茶である。軍事教練めいた時間まであった。そして、突然家庭訪問してきて部屋のチェックまでされた。
 そんな中にあっても、停学者・退学者はたくさん出たし、かく言う私も校則違反の常習犯だった(反省文とか正座が辛くてねぇ)。だいたい、この年代の子供にそんな規律をまじめに守ろうなどというしゃちほこばったヤツがそうそういるとは思えない。中には珍しいのもいて、校則を一から十まで守り、体育の先生とか生活指導の先生に覚えめでたきという変種も何人かはいたが、そんな連中とはいっさい関わりに合いたくなかった。ロボットを見ているようで生理的嫌悪感を覚えたのだ。
 そもそも、この年代って、大人と子供の間でとまどい、どちらにも属さないという不安感、不安定感から、反発に走ったり、ちょっと尖ったりするのが普通なのではなかろうか。
 たしかに、私もそこそこには勉強はしたが、深夜の酒と煙草と徘徊(とエロ本)は止められなかったし(^^;; そんな事をしながらも、今は一応まとも(?)に生活している。
 厳罰化すれば、違反も減る……などという安直な考えには絶対に反対だ。考え方が単純すぎるし、浅はかであるとしか思えない。