アートの意図をアートした?

被害を受けたのは超現実主義の芸術家マルセル・デュシャンが1917年に制作した「泉」と題された便器。この作品に傷をつけたピエール・ピノセリ(78)は、「ダダイズムの精神に敬意を表したかった」と話している。

デュシャンの便器を傷つけた男性に有罪判決

 何だか、この男がやったことって、「作品が制作された元の精神を考えに入れると決して間違っていない」と思えるのは私だけだろうか?
 デュシャンが「便器」に対して「泉」と名付けて芸術であるとした破壊的な行動に対して敬意を示すのは当然だと思うのだが、果たして作品となっている便器そのものに価値はあるのだろうか。デュシャンが行った行為や意図のほうが重要で、実物にはあまり意味がない……ということを考えると、作品を大事にしすぎるというのは、かえってデュシャンの精神に反しているのではなかろうか。
 まあ、「器物破損」が良い事ではないというのは事実だが、この男が行った行為は非常に「ダダ」っぽいと思えるのだが……。
 このへん、ビミョー。