称号や学歴、地位、収入に盲目となるなかれ

研究や教育活動の実体が確認できず、実在するかどうかさえはっきりしない海外の大学で取得した“学位”が、日本国内で大学教員の採用の際などに悪用されている実態を把握するため、文部科学省は23日までに、国公私立大の人事部局を対象にした全国調査に乗り出した。
こうした海外の大学は「ディグリーミル(DM、学位工場)」などと呼ばれ、米国では取得した博士号などの学位を就職に悪用するケースが問題化。国内でも最近になって大学案内の教員紹介などで、DMとみられる大学・研究機関の学位が十分にチェックされないまま掲載されている事例が表面化している。

「ニセ学位」実態を調査 文科省、全国の大学に照会

 まあ、かの有名なイオンド大学などは胡散臭すぎて論外だが、その他の巧妙に偽装された学位販売とか博士号販売って、見破るのが難しいだろうね。っつーか、逆に不思議なんだけど、実力を伴わない博士号とか学位を金で買って、何が嬉しいのか、さっぱりわからない。
 そういう評価って実績の後に自然と着いてくるものだし、実績や実力があっても着いてこないことだってある。フリーでやっている人なんて、どんなに実績や実力があっても称号も地位も無いんだからね。でも、実力とは関係ない称号があるよりも、称号は無くとも実力があったほうが人間としてよっぽど嬉しいと思うのだが……。
 結局、個人を個人として評価しているのではなく、称号や学歴、地位といった名刺に書いてある文字列に惑わされて判断が鈍っているだけだとしか思えないよね。たとえば、創●学会の池田●作が金で買える(多額の寄付をしたら自動的に貰える)、「名誉××」だかといった称号をいっぱいくっつけて、信者は盲目的にそれを偉いと信じているようだけど、それと同じくらいの馬鹿馬鹿しさだ。
 堀江貴文村上世彰みたいに「金を儲けて何が悪い」という拝金主義は、個人の指向としてはアリバイになりうると思うが、しかし、それが逆転した「金を儲けているから偉い」という価値観がはびこっているのは問題だと思う。金にならなくてもボランティアなどで立派な功績を上げている人もいる。数年前に「清貧」という言葉が流行ったこともあったが、それも一つの立派な生き方だと思う。
 マザー・テレサのような「無償の愛」を実践する人がもてはやされる一方で、称号や学歴、地位、収入が「個人の価値」だと判断するという矛盾した傾向には、疑問を感じざるを得ない。
 私の先代が、本当に金銭や地位といった「名刺に書かれる文字列」ではなく、社会的使命感だけで仕事を続け、それに殉じたという例を見ているだけに、私もそうありたいと願っているし、そうできれば本懐だと確信している。
 「名刺に書かれる文字列」ではなく、個人の本質を見るように心がけるようにしてきたつもりだし、これからもそうしたいと思っている。
 権威主義など糞食らえ!