楽しいから……

プログラミング言語を自分で開発する動機として達成感や勉強になるということがあるという。
すでに誰かが考えたアルゴリズムを、自分でゼロから考えたり、すでに存在するプログラムをゼロから実装するのは時間の無駄だ。そうした考えから、一般的には「車輪の再発明は悪いこと」とされる。しかし、C言語に似た言語「Diksam」を開発する前橋和弥氏は、「車輪の再発明は勉強になる」という。

「なぜ作ったのか?」、オレ様言語作った人々

 私もコンパイラコンパイラを使って(←手抜き野郎!)、タイニー処理系を作ったことがある。
 何となく「面白そう」だと思ったので、BNFを勉強し、コセコセと作り上げた。
 上の記事にあるように、「勉強になる」というのもあるのだが、単純に自分の言語を自分の趣味で定義し、構文の体系を構築して行くという作業は単純に楽しかった。
 リーヌス・トーバルズもLinuxを作ったのは「楽しかったから」と述べているそうだが、まさにそんな動機である。
 単なる楽しみに「なぜ?」と聞くのはヤボである。楽しければ何でも良いのだ。それで十分。