良い子のための日本語教室

 6月21日のエントリ「こういうの、一番嫌い」に対してたくさんのブックマークコメントが寄せられているが、中で引っかかるのは「差別主義者を差別する差別主義」だという指摘である。
 私はエントリの中では、「差別主義者」を糾弾、または批判したのであって、決してそういう人達を差別的な目で見ていない。一般的に、「批判する≠差別する」なのではなかろうか?
 というわけで、辞書で調べてみたので、参考までに。

  • 差別:1.あるものと別のあるものとの間に認められる違い。また、それに従って区別すること。 2.取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと。
  • 批判:1.物事に検討を加えて、判定・評価すること。 2.人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。 3.哲学で、認識・学説の基盤を原理的に研究し、その成立する条件などを明らかにすること。
  • 糾弾:罪や責任を問いただし、非難すること。

 さて、私は該当のエントリで「批判」または「糾弾」したつもりである。私のエントリ内に「差別」的な視点が含まれていただろうか? 私にそのつもりはない。
 要するに、単に内容が気に入らなくて難癖を付けたいから、批判する行為を、差別という概念に勝手に置き換えているのではなかろうか。
 世の中で、批判する行為をすべて差別だとするのであれば、議論など成立しない。議論は相手を対等に置かない限り成立しないからだ。差別的感情を抱いていたら、最初っから意見など取り合われないだろう。裁判や国会で行われる議論や批判行為はみんな差別なのだろうか? そんなことはない。
 だから、私が行ったのは、「批判」であり「糾弾」である。決して差別ではない。
 そこのところを理解いただきたい。