巨匠とマルガリータ

 SFマガジン10月号に高野史緒さんが「巨匠とマルガリータ」について書かれているが、総論としては凄く賛同できる。
 ところで、たぶん同作品を読むにあたり、日本人でもっとも引っかかる部分がイエス・キリストと総督ピラトとの関係だと思われるので、紹介しておく。ここがわかんないと、たぶんしっくりとこないだろう。
 以下、「マタイによる福音書」。27章。

 さて、イエスは総督の前に立たれた。すると総督はイエスに尋ねて言った、「あなたはユダヤ人の王であるか」。イエスは「そのとおりである」と言われた。しかし、祭司長、長老たちが訴えている間、イエスはひと言ともお答にはならなかった。するとピラトは言った、「あんなにまで次々に、あなたに不利な証言を立てているのが、あなたには聞こえないのか」。しかし、総督が非常に不思議に思ったほどに、イエスは何を言われても、ひと言もお答にならなかった。
 さて、祭のたびごとに、総督は群衆が願い出る囚人ひとりを、やるしてやる慣例になっていた。ときに、バラバという評判の囚人がいた。それで、彼らが集まったとき、ピラトは言った、「おまえたちは、だれをゆるしてほしいのか。バラバか、それとも、キリストといわれるイエスか」。彼らがイエスを引きわたしたのは、ねたみのためであることが、ピラトにはよくわかっていたからである。また、ピラトが裁判の席についていたとき、その妻が人を彼のもとにつかわして、「あの義人には関係しないでください。わたしはきょう夢で、あの人のためにさんざんくるしみましたから」と言わせた。しかし、祭司長、長老たちは、バラバをゆるして、イエスを殺してもらうようにと、群衆を説き伏せた。総督は彼らにむかって行った、「ふたりのうち、どちらをゆるしてほしいのか」。彼らは「バラバの方を」と言った。ピラトは言った、「それではキリストといわれるイエスは、どうしたらよいか」。彼らはいっせいに、「十字架につけよ」と言った。しかし、ピラトは言った、「あの人は、いったい、どんな悪事をしたのか」。すると彼らはいっそう激しく叫んで、「十字架につけよ」と言った。ピラトは手のつけようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、水を取り、群衆の前で手を洗って言った、「この人の血についてわたしには責任がない。おまえたちが自分で始末するがよい」。すると、民衆全体が答えて言った、「その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい」。

 つまり、総督ピラトは、イエス・キリストが無罪であることをわかっていたうえで、どうしようもなく死刑にしたということなのである。この際にいだいたピラトの苦悩についてブルガーコフは着目し、物語として脹らませたわけである。
 そこにブルガーコフのたぐいまれなる着想の凄さがある。実際、ピラトに関しては、キリスト教関係者の間ではそんなに重要な人物であるとはされていない。それを敢えて取り上げ、あの長いストーリーの中に盛り込んでしまったのである。
 「巨匠とマルガリータ」はSFファンなら必読だと思う。

巨匠とマルガリータ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-5)

巨匠とマルガリータ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-5)

巨匠とマルガリータ (上) (群像社ライブラリー (8))

巨匠とマルガリータ (上) (群像社ライブラリー (8))

巨匠とマルガリータ〈下〉第2の書 (群像社ライブラリー)

巨匠とマルガリータ〈下〉第2の書 (群像社ライブラリー)

巨匠とマルガリータ

巨匠とマルガリータ