伝統は大事。変革も大事

柔道の改革―選手の育成を大切にして (朝日新聞社説)
 創始者嘉納治五郎が生きていれば、その大胆な構想に目を丸くすることだろう。柔道界が来年から、世界ランキング制の導入に加え、運営や仕組みを一新することを決めた。
 複数の国際大会を新設し、それぞれの大会に賞金をつける。選手には成績に応じたポイントを与え、世界ランキングを作成する。この世界ランクの上位にいなければ五輪には出場できなくなる、というものだ。
 狙いは、国際大会を充実させることで注目度を高め、放映権料やスポンサーを集めることにある。テレビ中継やメディアへの露出が増えれば、競技の普及効果も大きいに違いない。
 この大胆な商業主義の背景には、欧米の事情がある。学校や所属企業が選手生活を支えてくれる日本とは違い、欧米はクラブ中心だ。賞金大会などのビジネス化で競技生活の安定を願うのは、欧米選手の切実な思いだ。
 陸上競技をはじめ、同様の仕組みや運営方法をとる競技は多い。競技の普及や選手生活の安定につながる自主財源の確保は、現代のスポーツ界では重要なテーマだ。そうした意味では、今回の柔道の改革も理解できる。
 しかし、そこには懸念もある。日程が過密になることだ。新たにできる国際大会に国内の大会を合わせると、休養をとる期間は激減する。選手の肉体的、心理的な負担とポイント獲得競争との折り合いをどうつけるか。
 過去には1年余り休んで五輪3大会連続の金メダルを獲得した野村忠宏選手の例もあるが、今後は五輪直前の休養は厳しくなる。谷亮子選手のように育児休暇の取り方も簡単にはいかなくなろう。競技と生活の選択の幅を狭めないよう、各大会のポイント配分の修正や救済措置を考える必要がある。
 選手の健康を守りつつ、競技意欲をかき立てる仕組み作りに取り組んでほしい。選手層が厚くならなければ、大会の質も上がらない。新たな制度が絵に描いたもちになりかねない。
 新しい仕組みでは、国際連盟の役員選挙の方法も変わる。会長が今よりも強大な権限を握る形になる。
 「家元」日本の影響力は、理事の選挙で完敗するなど近年しぼみ続けている。だがこういう激動の時期こそ、日本の存在感を示す機会と考えたい。
 男子監督にシドニー五輪銀メダリストの篠原信一さんを登用するなど、日本も新体制を打ち出したが、選手強化だけに目を奪われてはいけない。
 かつてのように伝統や美意識を押しつけるのではなく、選手の利益を第一に、柔軟で斬新な発展戦略を考えるべきだ。世界が耳を傾けるアイデアを持ち、発信することが大事なのだ。
 嘉納治五郎「自他共栄」を掲げてこの競技を体系化した。その理念と精神を改めて生かしていきたい。

 柔道も空手もすでに日本だけのスポーツではない。世界のスポーツだ。最近、「本来の柔道らしくない」とか、「伝統が廃れつつある」といった関係者の愚痴が聞かれる。
 これは絶対に間違っている。
 「伝統」は確かに大事にしなければならない。原点の精神を守り続ける事は非常に大切な事だ。
 しかし、それと競技としての合理性とは違うだろう。「伝統」とか「美意識」にこだわり続けるあまり、柔道も空手も日本は年々弱くなってきている。海外の選手が競技に勝つために、ルールの範囲内で勝てるようにどんどん工夫を取り入れて技術が進化しているからだ。「伝統」にこだわると、「工夫」をする余地がなくなる。これでは勝てなくなるのは当然だろう。
 だいたい、柔道は嘉納治五郎天神真楊流起倒流から創意工夫をして作り上げた「比較的歴史の浅い」武道だ。空手だって、全空連によって競技化されたのは戦後からしばらく経っての事だ。先人は、創意工夫と試行錯誤を繰り返して現在の競技体系を作り上げたのだ。
 それが伝統や美意識の名の下に創意工夫と試行錯誤が抑圧されてしまうというのは、本末転倒というか、逆に先人が体系を作り上げた苦労や普及させるために尽力した努力を否定することではないのか。
 実際、サッカー、テニス、レスリング、ボクシングなどといった柔道や空手などよりも歴史の古いスポーツは、長年にわたる技術の向上、プロ化、ルールの整備を常に続けて今の地位を確立したのだ。「宗主国」だから既得権があるという発想は、国際化を否定する行為だ。
 そもそもそれは、「嘉納治五郎は、従来の伝統を廃して、創意工夫して競技化できる武術を作り上げた革新的な人物だった」という歴史的事実を忘れてしまった発想ではないのか。日本空手協会全空連だって、従来は形と約束組手しかなかった空手を競技化するために安全性を重視したルールを模索してきた革新的な団体ではなかったのか。
 相撲もそうだ。確かに様式としての伝統を重視することは重要だ。しかし、外国人力士が上位を占めているのは、モンゴル相撲やレスリングの技術を取り入れて工夫しているからではないのか。様式を守る事は大切だ。しかし、競技としての技術を発展させる事を止めたら、そこでスポーツとしての可能性は無くなる。
 変革を恐れてはいけない。伝統に縛られてはいけない。既得権などというものなどは無い。
 そんなものに縛られて、頭が固くなってしまうのは、逆に創始者や先人達の革新性という精神を否定する行為以外の何ものでもない。
 とにかく、前に進もう。