次の防衛戦は生演奏で!

C-C-Bが28日(月)、約18年ぶりの再結成を記念したアルバム『Romanticは止められない』の発売記念イベントを都内で開催。再結成に至った経緯としてメンバーは「ボクシングの内藤(大助)選手が入場曲で使ってくれて、(亀田大毅選手に)勝ってくれたおかげです」

C-C-B、18年ぶりの再結成 「内藤選手のおかげです」

 内藤大助選手のおかげで古くさいのに「全く違和感が無くなった曲」という意味では、チャンピオンの功績は大きいね。ここまで便乗するのであれば、ぜひとも次の防衛戦ではライブで演奏して欲しい。
 たぶん、内藤選手が使わなければ、この曲が注目される事もなかったし、この曲を聴いて「かっこいい」と思う事もなかっただろう。
 メンバーはチャンピオンに頭が上がらない状態だと思う。だから、坂田健史選手との統一戦をやるんだとしたら、一大イベントになるので、ライブ演奏での入場シーンを見てみたいぞ!
 ん? 亀一号? いやいや、ランキングこそは挑戦者に相応しいとは言えるけど、やっぱりチャンピオン同士の闘いの方が観たいじゃんね。

加害者にも人権はある

少年審判での意見陳述を認められた被害者遺族が、審判廷で加害者の少年に物を放り投げたり、閉廷後、ネットに少年の実名を書き込み、態度を非難したりするケースがあったことが二十七日、日弁連少年法問題対策チームの調査や関係者の証言で明らかになった。「悪魔」「(あなたが)死ぬまで許さない」などと陳述する被害者もいたという。

ネットで実名公開・非難も 少年審判参加の被害者遺族

 あー、刑事事件って、基本的に容疑者を裁き、罪の有無、そして量刑を審議する場だから、被害者は関係ないというのが原則。非情すぎると思われるかもしれないが、そういうことになっている。しかも、検察側の暴走を止めるために容疑者にも弁護士が付き、妥当と思われる審判を下すのだ。
 ここで被害者の遺族が傍聴席に座ってしまって、裁判をかき乱したり、ネガティブキャンペーンをするのは、裁判というバランスを決める場に対しては、非常に危険な行為であり、判断をかき乱す妨害行為であると言わざるを得ない。
 これって非情だと思う?
 でも、判決が確定するまで、容疑者は推定無罪の原則で有罪判決が出るまでは無罪として扱われるわけだし、すべての人の人権は尊重されなければならないという原則を破ってしまう危険性のほうが私は恐いのだ。両方とも憲法で保証されたもの(11条と31条)だから、これに違反するというのはたいへんな事だ。
 裁判というのは、「白か黒か」という単純極まりない判断をする場所ではない。「もし黒なのだしたら、どのくらいの反省期間または罰則期間が適切なのか、更生の余地はあるのか」という容疑者にとってはその後の一生を決めてしまう複雑極まりない判断をする場所なのだ。
 犯罪者なんだから問答無用に「ぶち込め」とか「死刑にしろ」という短絡思考による権力とか感情の暴走は、根本にある人権という思想を根底から否定する行為だ。
 気分にまかせて行動するのは簡単だ。だが、それだと歯止めが効かなくなる。そんな暴走をくい止めるために法律が存在するのだ。大原則として、「法は人を責める物ではなく、守るための物である」という考え方があるのを忘れてはいけない。
 たとえ、容疑者が真っ黒で有罪確実なのだとしても、個人が個別攻撃をするようなマネは、前時代的な「仇討ち」と同じだ。「被害者の気持ちを考えろ!」という意見が聞こえてきそうだが、それも分からないわけではない。しかし、それをやってしまうと何のための法治制度なのか、という話になる。
 確かに刑事訴訟法は人を裁くためのものだ。だが、それ以外の法律は、国民の行動と倫理の規範を示し、秩序を保って国民を守るために存在しているものだという事を忘れてはならない。
 私は逆に、すぐに「死刑にしろ!」などと言ってしまう人に対して、「感情だけで動くと無秩序状態になるけど良いの?」と問い返したい。
 人類は長い歴史の中で試行錯誤を積み重ね、今の法治という概念を生み出した。それまでは復讐、厳罰は当たり前だったのだ。そんな野蛮な時代から、何とか秩序ある社会を作ろうと先人達が努力した結果として今の制度があるのだ、ということを忘れてはならないと考える。
 簡単に法律を厳しくして人を責めろという論理は、逆に自分が法律で保護され、守られ、権利を保証されているということを忘れてしまっているとしか思えないのだ。


#後日追記:このエントリに関して特に顕著だった反応に対する意見を5月4日のエントリに記した。

ぬか喜びしちゃった

ジャスダック上場のシステム開発会社「アクセス」(大阪市中央区)が2005年3月期決算で、銀行融資を受けるため、赤字を黒字と計上する粉飾決算を行っていた疑いのあることが、同社の社内調査でわかった。

ジャスダック上場「アクセス」が粉飾決算の疑い、証取委調査

 てっきり、携帯電話向けのブラウザを作っている会社だと思って喜んじゃったけど、違った。
 なぁーんだ。てっきり、この前に損失のレポートを発表したから、今度は粉飾か!と思ったんだけど……。
 変な期待しちゃって残念な気分。


##私がここまでの事を書くのは、それだけの理由があるということだけを知っていてほしい。

法律による権力側の殺人に反対

自民党加藤紘一元幹事長や杉浦正健元法相らは28日、国会内で会談し、仮釈放のない終身刑として「重無期刑」を導入することを求める勉強会の発足で一致した。

「終身刑導入」自民に勉強会設置へ

 死刑という制度が先進国ではすでに実施されていないこと(日本とアメリカの一部を除く)、死刑は極刑ではないという現実、「死刑になりたかった」という逆説的な死刑制度の弊害などを考えると、終身刑の適用に関しては、私は賛成する。
 「死には死を」などという原始的かつ野蛮な考え方を改め、権力による殺人などというパラドキシカルなものを廃止するきっかけになれば良いと思う。「人が人を殺したら犯罪」というのなら、「国家が人を殺すのも犯罪」だと思わない?
 私が考える原則は一つ。「いかなる状況においても人の命を奪う権利は誰にもない」。だから殺人を犯したら罰せられるのだ。でも、国家が行う殺人が合法なのはなぜだ? 私には死刑推進論者・賛成論者の根拠が理解できない。
 下のエントリにも書いたが、「そんな奴は殺してしまえ!」というのは感情に任せた短絡的な発想にすぎなくて、幼稚すぎ、かつ理性的ではない。
 現代に至るまで、戦争、革命、宗教裁判、復讐などによる非人道的・不条理な殺人、死が犯罪の抑止力となるなどという全く証明されていない根拠による死刑制度など、ナンセンスな事を繰り返してきたのだ。
 いい加減、そんな過去の失敗から学ぶべき時が来たのだと思う。こんな事はもうやめにして、新しい秩序を築いて行くべきだと思う。いつまでも中世の考え方を引きずってはいけない。こんな酷い悪意の連鎖は断ち切るべきなのだ。