一日経っても忘れるな!

  終戦60年・「命どぅ宝」原点に不戦誓う/再び「捨て石」にされないために
 昨日は、琉球新報のWebにアクセスできなかったため、一日遅れてしまったが、8月15日だけが、戦争のことを考える日ではない。


 沖縄には「命(ぬち)どぅ宝」(命こそ宝)という言葉がある。終戦から60年の歳月を経て、少しも色あせることがない。「戦争放棄」と「戦力不保持」をうたった平和憲法の危機がいわれる今日、むしろ輝きを増し、あらためてこの言葉の持つ意味の深さ、重さを感じずにはいられない。

 ただ、最近の日本は、戦争体験を教訓に「平和を育てる」方向へと足並みをそろえているかといえば、必ずしもそうではない。衆参両院の憲法調査会は平和主義を骨抜きにし、「自衛軍保持」を掲げる政党も出てきた。九条の「戦争放棄」を「安全保障」に変更し、条文から「戦力の不保持」と「交戦権の否認」を削る内容だが、これではアジアの各国から「戦争への備え」と警戒されても仕方がない。

 「戦力の不保持」は平和主義の要である。戦争の愚かさを知った国民にとって譲れない一線だ。改憲派は有事のための対応だとか、国民保護法もあると言うが、逃げる手だてより、逃げる必要のない国づくりに努めるべきである。

 イラクの悲劇が示すように、軍事力で民衆が救われた例は聞かない。それなのに日米両国は、沖縄を有事の際の軍事拠点としかねない状況だ。再び「捨て石」にされてはたまらない。今こそ「命どぅ宝」の原点に立ち、不戦の誓いを新たにしたい。