「あの楽しそうな人たち」

 またまたはてな匿名ダイアリーでこのところ話題になっているエントリ。このエントリに対する、はてなブックマークコメントも凄いことになっている。


きっとあの楽しそうな人たちの仲間には入れない。そう思うと自分でもびっくりするほど強烈にイヤだ。悔しくて堪らない。あの楽しそうな人たちが、次ぎに行く場所は何処だろう。先回りしておけばいいのかな。そうすれば仲間になれるのかな。
 私がページャーを持つことは結局なかったし、携帯電話を持つのも遅かったので、その文化にはなじんでいない。しかし、そのことに対して「乗り遅れた」という感じは無い。
 だが、ネットの世界に入ってくるのは早かった。Webサイトを立ち上げたのも、blogを始めたのも、SNSを始めたのも早かったように思える。
 だから、この文章から感じられるほどの強烈な疎外感は感じていない。知り合いも増えたし、ネットは楽しい。逆にコミュニケーション中毒、というかコミュニケーション渇望症に近いところまで来ているかもしれない。
 しかし、ここに罠があるのではないか。
 「渇望」するというのはどういうことだろう?
 結論を先に書くと、より「親密に仲良く楽しくやりたい」ということを痛切に望んでいるということだ。
 mixiなどは大人の世界なので、まだ落ち着いているが、携帯blogや年齢制限の無いSNSなどを見ていると、そのコミュニケーションの「密度」は信じられないくらいに濃い。その無邪気さは羨ましいと思うし、それを維持するパワーも凄いと思う。だが、その輪の中に入ってゆくだけの気持ちとパワーは、残念ながら私には無い。入っていっても、たぶん同じノリでは楽しめないと思う。
 そのような訳なので、この文章に感じるような強い疎外感を感じることはあまりない。しかし、無意識の間に、私も「あの楽しそうな人たち」の姿を頭の中に作っていたのかもしれないと感じる。
 「あの楽しそうな人たち」を羨む気持ちは無いのだが、「あの楽しそうな人たち」の姿は確かに見て取れる。この文章は、そんな立場にいる人が感じている一面を確かに指摘していると思う。