人は機械でも装置でも無いのだが

   女性は「産む機械、装置」 松江市で柳沢厚労相

産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭で頑張ってもらうしかない」と女性を機械に例えて少子化問題を解説した。

 この例えで言うのなら、男は種付けをする装置(しかも煩悩だらけ)だな。しかも時折制御が効かなくなったりする。
 何だか、同じ「男性」として、とても恥ずかしい発言だ。不愉快に思われる女性の方々に申し訳ない。
 ザミャーチンの傑作「われら」では、セックスの時間帯まで国家が管理している社会が描かれているが、人の生殖行為を「作業」、人を「機械」としてしか「喩え」ができない背景には、自分が「人の上に立つ政治家である」という特権意識が感じられて寒気がしてくる。この大臣は、ザミャーチンが想像した悪夢的な感覚を「政治家として当然」のものとして考えているのだろう。恐いね。
 また、「少子化」は子供をつくらない国民のせいであると原因を国民に丸投げして、国民が安心して子供が作れない社会にしてしまっている政治家の責任を全く考えていない自己中心的な考え方が見えてきて非常に気分が悪い。
 この人は、普段からこんなフィルターを通してしか物を見ていないのだろうね。可哀想って言えば可哀想だが、周りに害毒をまき散らすのは良くない。
 お願いだ。大臣を辞めろとは言わん。もう死んでくれ。