私の評価は甘い?

 最近、何だか私が「おー!」と思った作品って、ネット上ではあまり評判がよろしくない。
 何かフィルターでも入ってしまったのだろうか? いやいや、私はこの偏屈でねじ曲がった評価眼でこれまでやってきたようなものだから、これで良いのだ!! きっと理解される日が。。。来たら来で恐いかも(^^;
 ちなみに、最近観た作品の感想をアップしておく。一部はmixiからの転載である。二度読ませてしまうことになってしまう方々には申し訳ない。

 三部作を見終わってみての感想。
 これは成功作なのか、失敗作なのか?
 私は「半分成功作」だとしか言えない。
 低予算、演技力不足など、問題点はたくさんある。
 しかし、「演出」、「メッセージ」など、評価できる点も多い。
 先には破壊しか待ち受けていない時代、それを予感しつつも、侵略者(破壊する側の論理を振りかざす狂信者)と闘わなければならないという不条理と無力感、それと相反する使命感と義の心。
 これは、いつの時代にもいるであろう「あらゆる意味での破壊者」と闘う意志を持った者のための物語である。
 そして、その命をかけた闘いは、所詮、他者からすれば、劇場で演じられる「芝居」でしかないという空虚感を見事に描ききっていると思う。
 歴史の中にいる者と、それを観察する者、利口なのはどちらなのだろうか? どちらの側に立つべきなのだろうか?
 所詮は「道化」にしか見えないのであっても、私は「中にいる者」でいたいと感じた。

  • 怪奇大作戦 セカンドファイル
    • 第一話「ゼウスの銃爪」

 「人権」という概念はどこまで適応されるのか、法は「正義」ではなく「秩序」を優先しているということ、その齟齬に対する感情の暴走など、今現在のテーマを真正面から扱った勇気には拍手。
 犯人が言う「私、どこで間違っちゃったんだろう?」という、ある意味で非常に素朴な疑問に対しては、「正義を過信しすぎたから」としか答えようがない。殺人を犯した犯人に対して、さらに殺人を犯す権利のある人間は誰もいないのだから。
 にわかに納得できない人も多い事だとは思われるが、論理の行き着く先には、冷たい結論しかない。だが、我々はそれを甘んじて享受しなければならない。
 その冷たい論理を受け入れ、熱い感情を抑えつける事で、近代社会の秩序が保たれているわけだし、個々人が法によって保護されているのだから。
 そして、社会にある暗黙の了解は、実態がフィクションでしかなく、だからこそみんなで守らなければ維持できない脆弱な代物でしかないということも理解されなければならないのだと思う。

正の極致は不法の極致
――キケロ

弁護士のバッジには、秤が鎮座しています。法の本質はバランスにあり、衡平にありとして、秤の鎮座するバッジに誇りを持ってこれを着用し、公平適切な法のために活動しております。
http://www.kaetsu.ac.jp/100/idea.html

    • 第二話「昭和幻燈小路」

 いかにも実相寺昭雄が脚本を書いたという内容で、演出まで実相寺監督作品へのオマージュになっているという凝り具合。
 「昔は良かった」とは、何かと言われるのだが、逆に「今ってそんなに悪い?」という疑問も出てくる。
 今って、結局は、みんなが望んで発展し、出来上がった社会なわけじゃん。その今が、みんなが望んだものになりえているのかどうかというのは、人それぞれの感じ方でしかないだろう。
 今から二十年経ったら、今現在の2007年頃が一番良かったかなぁと思うかもしれないし。
 時代は巡るわけなんだけど、人それぞれに「良かった時代」というのは異なるし、それぞれの時代の価値観や文化を一概に否定する権利は誰にも無い。
 結局のところ、今現在を評価できる人なんていなくて、後になって残った人の記憶こそが「時代の気分」を後付で作り上げているだけなんじゃないのかなぁ。
 時間の流れというのは、エントロピーが増大する方向ということで一方的に流れるとされているのだが、人の記憶は変幻自在にタイムトリップできる。
 物理的な意味とは違い、感傷的な意味で言う「時代」とか「時間」って、「人の記憶」のことそのものなんじゃないのかなぁ、などと感じたしだい。
 後になって、「今頃は良かったなぁ」と思える日が来るのかどうかはわからないけどね。

    • 第三話「人喰い樹」

 中田秀夫が演出しているだけあって、正統派のバイオホラーに仕上がっていた。「娯楽性」という意味では、三作品中で一番出来が良いのだろうが、見終わった後の感想は「So what?」という感じか。
 いかにも「怪奇大作戦」的なものを狙っているだけあって、「怪奇大作戦」らしく出来上がっていたが、ストレートすぎてリメイクとしてのひねりが何も無い点が残念。
 昔だったらメッセージ性を持ち得た下記のようなセリフが、今となっては陳腐だと感じてしまうのが残念なところ。

人間は簡単に滅びたりはしない。人間ほどしぶとくて邪悪な生き物は他にいないのだから。