詭弁は信用を失墜させる

歴史教科書の記述から、沖縄戦の集団自決への「軍の関与」を消し去った今年の教科書検定。多くの住民の戦争体験記憶を背景に、沖縄県議会は二十二日、軍の関与があったとする意見書を全会一致で可決した。沖縄が問うたのは、突然記述を変更した国の歴史観だ。
個々の隊長命令の有無については今後も検証が必要だ。しかし集団自決の本質はより根深い。なぜ愛する家族が殺し合いに追い込まれたのか。明治以降の皇民化教育の影響や、非戦闘員を巻き込み住民犠牲を増大させた愚策など、国の在り方にもかかわる問題だ。
沖縄の非戦闘員に援護法が適用されているのは、軍命などの「軍の関与」を、国として認定したケースだけだ。今回、文部科学省教科書検定で「軍の関与」は否定されたが、厚生労働省援護課の担当者は「援護法の適用は調査に基づいており、教科書検定に左右されることは今後もない」と話す。国は二重基準を抱えたことになる。

沖縄から問う国の歴史観 軍の関与めぐり二重基準

 かつて、帝国臣民は「天皇陛下」という「現人神」に使える「神の国の住人」だと考えられていた。
 軍人が特攻したのも、住民も含めて玉砕したのも、「国を守るため」でもなく、「家族を守るため」でもなく、自らの国に君臨し、統治する「現人神」のために命を落としたのだ。
 この思考状態を「カルト」と呼ばずして、他に何と表現したら良いのだろうか。
 その「現人神」は、GHQの政策により「人間宣言」をし、それまでは写真を直視することさえ畏れ多くて許されなかった「神」から、そこらにいる普通のオジチャンになり、責任を逃れた。天皇に戦争責任があったということなどは、超右翼であった赤尾敏ですら認めていたことだ。まあ、確かに、「脱カルト」化する過程において、いきなり「神」の首を取ってしまったら日本という国は崩壊する、と決断したGHQの選択は正しかった。だが、それは日本人を脱洗脳するための方便でしかなかったという事実を忘れてはいけない。
 とまあ、天皇についてはそういうことになったのだが、現在の日本国としては、国策として推し進めた「カルト宗教国家」が国民に与えた被害を補償する義務があるはずだ。
 現在、国が推し進めている、「昔の恥の隠蔽」行為がそのまま昔の「カルト国家」への回帰に繋がるとは思っていないが、ただ一言、「恥を知れ!」とは言いたい。