何を守ろうとしているのか?

山形県高畠町の県立高畠高校(山田陽介校長)で昨年11月、2年生の女子生徒(当時16歳)が自殺した問題で、父親が23日記者会見し、本人の携帯電話に残されていた遺書とみられる書き込みの一部を公表、いじめは確認できなかったとする調査結果を出した県教委に再調査を求めた。遺族はこれまで匿名を条件に取材に答えていたが、匿名では説得力に乏しいとして実名公表に同意した。
遺族の会見を受け山田校長も記者会見し、「5人以外の生徒を一くくりにしていじめの加害者とするような内容になっているが、そのようなことはないと学校では判断し、この遺書を、根拠の見えないものと考えている」とのコメントを出した。

山形女子高生自殺:遺族が遺書公表 いじめ再調査を要請

 もちろん、校長は決してこの生徒をいじめた連中を守ろうとしているのではなく、報告書を書いた上部組織を守ろうとしているのだろう。
 ところで、「根拠がみえない」と話すその「根拠」はいったい何なだろうのか。いじめた生徒を一人一人名指しし、具体的に書いてあれば「根拠」になるのだろうか。たぶん、この話し方だと、そこまで書いてあっても、校長は「証言を裏付ける証拠がない」とでも言い張ることだろう。
 要するに、最初から「取り合わない」という姿勢なのだ。なぜなら、先に出された報告書を擁護するというスタンスをとる限り、絶対に認めるわけにはいかないからだ。
 まあ、ここまでひどい話なら、私以外の正義感が強い人たちからの抗議がたくさん届くだろうから、数日もすれば発言を撤回する事になるだろうけど(^^;
 ともかく、この校長と、いじめを行った生徒達に永遠の呪いあれ。