何が平等なのか、わからない

スウェーデンの3都市の公共プールで23日までに、ストックホルムのプールでトップレスで泳いだ女性2人が胸を隠すよう注意され、従わない場合、退場を命じられた事に反発し、女性約40人が一斉にトップレスで登場する抗議行動があった。
団体「裸の胸」のメンバーで、男性は胸を出して入場可能なのに、女性にこの権利を認められないのは不平等と抗議している。

トップレスの女性40人、プールで抗議 男女不平等で

 公共良俗に反しない場所だったらトップレスはやっても良いと思うし、場所を限定すればすっぽんぽんでも良いとも思うのだが、ここで主張の根拠になっている「男女平等」という概念がわからなくなってきた。
 男女って、生まれつき身体の構造が違うから、身体のどの部分を隠すべき、という規範がそもそも非対称じゃんね。一方で「恥ずかしい」という感覚があって、その一方で「出して何が悪い」という感覚がある、というのは今の社会を考えると、両方とも「アリ」だとは思うのだが、そのような微妙な話題を「男女不平等」の一言で片づけるのは、乱暴じゃないのだろうか。
 実際、幼児の場合、オトコノコの幼い「おちんちん」がTVで放送される事はあるのだが、オンナノコの幼い「おまんこ」が放送されることはない。ここで気が付いたのだが、「おちんちん」を書く事に抵抗は無いのだが、「おまんこ」と書く事には抵抗があった。実際、性器の名称に対する「タブー感」にしても男女間での非対称が存在するのだ。
 女性の裸体に対する規制が強くなる一方で、女性からは緩和の声が上がる。この非対称は、男性の性的欲求と女性の自己表現という同時に天秤にかけられない根拠から出ている。だから、お互い一方的に主張を通そうとしても、永遠に平行線だろう。
 社会的な話、道徳的な話なら「男女平等」もまかり通るのだろうが、性差を根元にした話でこれを主張しても、どこかで無理が出るのではないかと思った。