欠陥ではなくて個性だ!

「個性」として理解され、その優れた才能を伸ばす環境を整えるべきです。
アスペルガー症候群の子たちは数学的な思考や記憶力などで高い能力を示す半面、対人関係が苦手で、特定の物事や習慣にこだわる特徴がある。理解不足から「困った子」とされてしまうことも多い。誤った対応により、本人が心に深い傷を負うこともある。
「KY(空気・読めない)」という言葉があるように、最近の日本では雰囲気を察することのできない人を排除する傾向があり、対人関係づくりに難があるアスペルガーの子にとっては厳しい現実になっています。

「困った子」たちの未来

 実のところ、私は個人的な事情により、アスペルガー症候群の人、性同一性障害の人、PDの人、てんかんの人、統合失調症の人、過食症の人などとの付き合いがある。
 みんな、病気の症状以外の部分では極めて普通であり、尊敬できる人格の方や、凄い能力を発揮している人もいる。
 しかし、社会においては、症状のほうを重く見て、それを「欠陥」だと第三者から一方的に決められてしまうことが多々ある。
 実は、私もそのような不条理な評価を受けたこともあり、その際には深く傷ついた。
 なぜに、個性として受け入れ、それに合った対応を取れるくらいの柔軟性がないのだろうか。これは全ての身体・知的・精神障害者すべてに言える事である。
 できることはできる、できないことはできない。そんなの当たり前ではないか。障害者でなくとも、人によって向き不向きがあり、得意不得意がある。それと同じだ。障害という言葉が付くだけで、「欠陥」だと決めつけるのではなく、「できないことも確かにあるが、できることもたくさんある、そんな個性なのだ」と理解してもらえないのだろうか。
 とにかく、マイノリティに対する偏見は止めてくれ。偏見は、人の判断を狂わせるだけの邪魔なものだ。