漢はお尻で勝負する by 越中詩郎

岩手県奥州市の黒石(こくせき)寺で繰り広げられる伝統行事、蘇民祭(そみんさい)の観光ポスターを市が駅構内に掲示しようとしたところ、JR東日本から待ったがかかった。「男性の裸に不快感を覚える客が多い」というのが理由だ。
「単純に裸がダメというわけではないが、胸毛などに特に女性が不快に感じる図柄で、見たくないものを見せるのはセクハラ」と判断したという。

裸祭りポスター:JR東が「待った」…女性が不快感

世界一美しいお尻を決定するヒップコンテスト「SHOW ME YOUR sloggi〜あなたのsloggi(お尻)を見せて〜」の日本大会が16日、東京・渋谷のライブハウス「O−EAST」で開かれ、現役高校生の渡辺花穂さん(18)が日本代表に選ばれた。

ヒップコンテスト:日本一美しいお尻は18歳の渡辺花穂さん

 文化的に男女の扱いが非対称であるのは仕方がない。ジェンダー論者から怒られそうだが、女性の体がいろんな意味で「商品」になっているという現実は認めなければならない。それが良いかどうかはここでは問わない。だが、実際に上に挙げた二つの記事を見比べると、「男男している写真は女性が不快感を感じるからダメ」となっていて、「女女している写真は美しくて楽しいから大丈夫」という非対称な現象が出ている。
 そして、面白いのは、上の方の記事である。「胸毛などに特に女性が不快に感じる図柄で、見たくないものを見せるのはセクハラ」という判断は女性がしているのではなく、男性がしているという点だ。
 これは例えば、ミスコンに対して「女性の美とは相対的なもので、曖昧な価値観で一方的に選別するのは性差別な問題」と反対する女性が存在するのと似ていないだろうか。「伝統行事のイメージを大事にし、男性の荒々しさを表現したのだが嫌がる人がいるかもしれないから性差別的な問題」と男性が判断しているのだ。
 私は、社会的・日常生活的には男女同権、平等でなければならず、性別によって区別されてはならないと考えている。だが、体の基本構造が違い、性的な役割も違い、脳の構造や考え方も違うという生物学的な論点や、伝統文化的な論点で「男女は違う」と言い切ることに関しては、何の問題も無いと思っている。
 人間は社会的な動物と言われるのだが、社会的であるのと同時に所詮は動物であるのだから、それ以上の論議には踏み込めないと思うのだ。
 あ、ちなみに女性のことを「産む機械」と言ったバカに対しては、性的な役割を述べたという言い訳では済まされず、「産む」という生物学的な機能はもちろんあるものの、それを「機械」と称した時点で差別的だと考えられるので、アウトだと思っている。
 私は男として女の子のことは好きだし、女の子からは男として好かれたいと思っているわけだから、その非対称に関しては認めるしかないとしても、お互いに同じ点と違う点をはっきりと理解した上で対等に生活して行きたいよね。