伝統神事vs.ハラスメント

上半身裸のたくましい胸毛の男性がモデルとして登場するが、JR東では「胸毛など特に女性が不快に感じる図柄で、見たくないものを見せるのはセクハラ」と判断した。ただ、男性にとっては1年間待ち続けた、一生に一度あるかないかの晴れ舞台。地元の注目度も最高潮だったが、ご本人はいたって冷静だった。
一人がイヤだと思えばセクハラになってしまう世の中ですから、仕方がないんですかね」
モデルとなった奥州市に住む会社員、佐藤真治さん(38)はそう話す。祭りに20年以上参加しているベテランで、現在は世話人も兼務する。写真は昨年、必死の思いで勝ち取った蘇民袋を手に歓喜の雄たけびを上げた瞬間で、いつ撮影されたかは覚えていないという。
「いまだに正式な連絡は一切なく、友人から『お前の裸がインターネットで話題になってるぞ』と知らされただけです。セクハラといいますけど、何と言っても親からもらった大切な体で、たまたま体毛が濃かっただけなんですよ。ヒゲだって自分の意志で伸ばしているだけ。胸毛や体毛が少ない人は、見た目が良いからエラいということなんでしょうかね」
1000年以上続く祭りのポスターで、今年いきなりダメだといわれてもねぇ。何十年頑張っても争奪戦に勝てない人も大勢いますし、今はポスターに載れただけでも感謝の気持ちでいっぱいです」

アノ裸祭り、露出狂&ホモ押しかけ…胸毛男が心境激白

 この話、引っ張ってスマン。
 うーん、大相撲中継も「一人がイヤだと思ったら」中止になってしまうのだろうか?
 褌一丁で和太鼓を叩くパフォーマンスをしている音楽団体のTVコマーシャルも、「一人がイヤだと思ったら」放送できなくなってしまうのだろうか。
 まあ、確かに、相撲などに関しては、太った頑強な男が尻を出していることに対して嫌悪感を抱いている人や、「見たくない」という人がいるのも知っている。
 でも、だからといって、まわしの下にパンツをはかせるのだろうか。褌を廃止して半被姿にするのだろうか。でも、そうなると、元々から受け継がれてきた伝統的な意味が失われるような気がするのだが……。最低限の布をまとっただけの「清い姿」で行うというのが本来の意味なのだが、その神聖さが失われてしまうと思われる。
 まあ、昔は昔、今は今、と割り切れるのであれば良いのだが、そんな伝統行事にまで現代のモラルを押しつけて良いのだろうか。歴史と文化、伝統と宗教的意味合いを失わせてまで続ける意味はあるのだろうか。
 私の考えでは、そのような現代的なモラルの押しつけが始まった時点で全ての意味が失われると思うので、「見たくない人は見なければいい」としか言えなくなってしまう。
 ううううう……袋小路だねぇ。