私はあらゆる規制を否定する

検討会での議論が当初からフィルタリングありきの議論になっている点について、「有害情報対策はいろいろな方法ある。その方向性を議論すべきであり、フィルタリングはその1つに過ぎない」との指摘や、現状モデルでは問題があるにもかかわらず導入促進を図る方向性を示していることについて、「問題があるなら、解決するまで導入促進は止めるべき」との指摘もあった。

“フィルタリング原則化”の“一般化”を懸念する声も〜総務省の検討会

 情報へのアクセス権は万人にとって開放されるべきであり、自由なものであるべきである。それを「青少年の保護」というお題目でフィルタリングするなど、愚の骨頂であると言わざるを得ない。
 ネットには、「出会い系」とか「ポルノサイト」などといった「負の部分」も確かにある。しかし、無分別かつ一律なルールでのフィルタリングは、「便利な情報」や「必要な情報」をも遮断する事になる。これでは宝の持ち腐れである。
 これまで、エロ本やビニール本、裏本が出回った時、果たして流通まで全部規制できただろうか。今でもアダルトビデオや裏ビデオが出回っているが、それは建前的に年齢規制こそ実施しているものの、全く機能していない。そんなことは経験上、わかっている。
 要するに、規制という制度は、有益なものを消してしまうと言う負の部分だけが機能し、実際に問題となるものは一切遮断できていないというのが現実的なところなのだ。そのうち、「アンチ・フィルタ」とか、「擬装サイト」ができて無意味なものになり、余計に悪いスパイラルに陥る事は明白だ。
 「有害だから隠せばいい」というのは、発想が単純すぎるし、現状の技術に則していない考え方だ。だから、上に引用した委員の言葉は正しい。何にしろ、フィルタリングなどという手段は、百害あって一利無しの無効な手段であり、政府が有害情報対策をしているという「アリバイ」にしかならないだろう。
 そんなもの、最初からしないほうがマシだ。だから、断固として反対する。