等身大のロシア人

人口は3500。産業といえば、木材加工工場だけだ。まともな仕事場はこの工場か役場くらいで、村人の多くはモスクワや近くの都市に出稼ぎに行く。丸太づくりの家々は傾き、まっすぐ建つのは役場と工場、教会くらい。貧困とウオツカの痛飲、家庭の崩壊へとつながるロシアの地方共通の問題を、この村も抱えていた。
新年最初の礼拝は、この重い問題が説教と祈りの中心だった。その最中、酔っぱらいが突然乱入して会堂で許しを請うた。かつて教徒だった男は、飲酒の末に家庭が崩壊し、孤独の中、救いを求めて教会を訪ねたのだ。教会は、苦悩する村人たちの駆け込み寺であり、交流センターだった。
それは、あふれる石油マネーの恩恵でぜいたくに暮らし、欧米諸国を敵視する強気の姿勢をみせるモスクワとは別のロシアだった。
牧師はこう指摘した。
ソ連時代は、教会活動どころか、聖書を読むことすらも禁じられていた。みんな隠れて聖書を読んでいた。いま、ロシア正教会以外の教会の活動は厳しく管理され始めたが、まだ禁じられてはいない。思想を統制することも不可能だ。いま起きているのは、中央のエリートたちの権力闘争である。圧倒的多数が暮らす地方では、それ以前の問題が山積している。新しい大統領が国を誤った方向に導かないことだけを祈りたい」

モスクワ支局長・内藤泰朗 もうひとつのロシアを見た

 木を見て森を見ず。一部だけ見て全体を見ないと視野狭窄に陥り、正常な思考や判断ができなくなる。下のエントリに書いた件もその一例だろう。
 エネルギー産業に支えられた強国ロシア。だが、実際には貧富の差が拡大し、酷い事になっている。だが、ソ連時代の管理に比べれば、何万倍もマシな世の中になっている。
 何をもって「ヨシ」とするのかは、人によって違うのだが、国としては「ヨシ」、民衆レベルでは「アシ」というのは、あんまり健全な姿ではない。ニューリッチが増えた分だけ、貧困層も増えている。ロシアは日本と同じような社会構造になりつつあるのだ(それとも日本がロシアのような社会構造になりつつあるのか?)。
 まあ、どちらにしても、政治のレベル、経済のレベル、民間のレベルとお互い多重構造になっている社会で、それぞれのレベルに応じた交流が行われている。民間のレベルでは、北方四島の住民と北海道住民との交流が代表的なものだろうし、私もロシアを相手にしたヲタク外交を続けている。
 民間レベルでの交流に、政治や経済、軍事は関係ない。個人対個人の付き合いだ。平和を愛して、日々の穏やかな生活を求め、そして趣味を楽しみ、酒を飲んで馬鹿騒ぎをする。これはどこの国だって同じだ。そんな等身大の付き合いは、やってみない限りわからない。
 私はロシア人が好きだ。みんな良い人だから。ロシアの文学や映画が好きだ。素晴らしい作品が多いから。これ、何か悪い?
 爆撃機が一機来たくらいで、私のこの信念は揺るがないよ。だって、もう二十年近くもロシア人の親切さと人の良さに触れてきたんだから。
 新聞やテレビの報道だけを見て、自分と国家を重ね合わせるような短絡的な思考に陥るようなマネはやめて、実際に外に出て、一人の人間として付き合ってみたらどうなんだろうかと、私は思う。
 実際、私はアメリカという国が大嫌いだが、アメリカ人の友人はたくさんいる。みんな良い人だ。中国人だって韓国人だって、私の友人は良い人だ。日本国内の犯罪率が高いと言うだけで、私は自分の友人を色眼鏡で見るようなマネは絶対にしない。
 個と個の付き合いに、政治や、社会情勢なんて関係ないんだよ。そして、個人で付き合わない限り見えてこない事、聞こえてこない事はたくさんある。
 みんな、外に出てみない? 一歩出るだけで、違った世界が見えてくるし、面白いよ。