こんな教師、昔もいたなぁ

今月10日、3年のクラス担任の女性教諭(53)が、同級生のノートを自宅に届けるのを忘れた女児に教室で土下座させたうえ、この同級生に「許さなくてもいいよ」と話していたことが分かった。
教諭は取材に「そのくらい誠意を持ってという意味だった。一時的な感情で女児を傷つけてしまい反省している」と話した。

土下座:「頼み事忘れた」女児に強制 埼玉の女性教諭指導

 これの何が問題なのか、わざわざ書く必然性がわからない。自明すぎる。
 「許さなくてもいいよ」って何よ。土下座はともかく、「許さなくてもいいよ」という言葉のどこに「誠意を持って」という意味があるのだろうか。
 私が小学生の時、担任になった教師がいわゆる「ダメ教員」で、保護者の間で問題になったことがあった。私はその頃から反抗的だったので、もちろん差別的待遇を受けたほうだが、酷いものだった。「お前みたいなヤツが良い成績を取るのは気に入らないから、教えたくない。廊下に立っていろ」とか「お前が学芸会に出るのが気に入らないから、お前のセリフから削る」とか、凄いことを言われたものだ。
 で、信じられない事に、親は「先生の言う事が正しい。お前の態度が悪いからだ」と取り合ってくれなかった。
 しっかーし! そのような差別的待遇を受けていたのは私だけでは無かったので、保護者の間で問題になった。
 でも、その教師は、その事実を認めず、差別的待遇を続けた。駄目なヤツはどこまでも駄目なんだということがわかった。
 たぶん、この教師も、そんな人種の一人だろう。誤りを正す。これは正しい行いだ。ミスを謝る。これも正しい。しかし、「許さなくてもいいよ」とは何事だ。児童に不寛容を教えてどうするんだ? たぶん、自分が不寛容で、他人に対して普段から勝手にやっかみや嫉妬を抱き、「許さない」という態度を貫いているから、こんな言葉が出たんじゃないのだろうか。普通、こういう時、日常的に考えているようなことしか言葉に出ないものだ。
 まあ、そういう不寛容な態度は自然と出てくるものだ。だから、この教師は「不寛容バリア」を出しているに違いない。たぶん、そんな人に友達はいないよ。
 せいぜい、孤独な人生を送ってくれ。