考える、議論することの重要性

上映中止で話題の映画「靖国」をめぐり、主に右翼系団体の会員向けの試写会が18日、東京都新宿区のライブハウス「ロフトプラスワン」で開かれた。試写後、参加者らは「駄作」「労作」「靖国を理解していない」「反日とは思えない」など賛否の意見を交わした。

「駄作」「労作」…右翼系団体の活動家ら「靖国」試写会

呼びかけ人の1人、木村三浩一水会代表は「すべての右翼が見ずに抗議しているわけではない。見たうえで議論できることが大切で、上映会を開いた意味があった」と話した。

映画「靖国」右翼関係者が上映会、「見てから議論を」と

 繰り返しになるが、表現物は明らかに社会的倫理を大幅に逸脱していない限り自由に公開されるべき物であると思っている。それは、受け取る側に考える材料と機会を公平に与えるために必要なことだ。そして受け取った側は、自分の信条や感想などを吟味して自由に考えて結論を出す。
 そこからじゃないと、作品の是非なんて、議論すらできないじゃんね。
 だから、右翼の活動家が実際に上映会をして作品を見て、右翼同士、または対左翼で議論を積み重ねて行く事は、決して意味の無いことではない。この点において、私はこの上映会に参加した右翼の活動家は大したものだと思う。
 しかも、右翼活動家の中でも意見が割れるような映画なのだから、内容的には「極端に偏向している」というわけでもないのだろう。右翼も左翼も保守派も革新派も、とにかく事前の情報に惑わされることなく、「実際に見てから考え、判断する」という、作品を評価する際の基本的な姿勢を忘れてはいけないと思う。
 まあ、問題なのは、問答無用で圧力をかけて話を大きくしてしまった稲田朋美とか有村治子という「考えない右翼議員」の存在ということだな。