説明責任から逃げている

 中山前国土交通相が言った「日教組」問題。
 何故にそう考えるのか、その「根拠」を説明する責任があると思うのだが、行っていない。
 批判するためには、相手を納得させるだけの根拠を提示する事が必要となるはずだ。「そう信じている」というだけで誰かを批判して良いなどというのは言い訳にはならない。
 「信じている」というだけで「批判して良い」という論理、それを一般には「宗教」と言う。