本日、多忙につき

 スクール水着萌え界で「文明の衝突」が起こっている。それは「旧スク派」と「競泳スク派」である。お互いに、どっちが萌えるかで論争を続けているのだ。
 旧スク派はクラレKK70を至高の水着と認定し、競泳スク派はARN-75Wを至高の水着と認定している。実際の写真は↓をご覧いただきたい。
 
 ちなみに私は、異端に属するのだが、全てのスクール水着を愛好する越境派である。
 それはともかく、第三者には「どーでもイイじゃん」としか思えないことであっても、こだわりが存在すると、どうしても対立が起こってしまう。だが、このような事態は、実は歴史的に何度も繰り返されてきた無意味な行為にすぎないのだ。
 これを端的に皮肉った文章がある。元は宗教対立に対して言及しているのだが、一般的に拡張できる内容だ。以下、ジョナサン・スウィフトガリバー旅行記」より引用する。

 そもそも人間が卵を食べる場合、大きい方の端を割るというのが昔ながらの習わしであるのに、現皇帝の祖父君がまだ幼少の頃、卵を食べようとして習わし通りに割ったところ、うっかり指を一本傷つけられた。そこでその父君たる時の皇帝が勅令を発し、卵は小さい方の端を割るべきこと、違反者は厳罰に処すと全国民に命令された。
 歴史の伝えるところによると、国民はこの命令にいたく憤激して六回も反乱が起こり、そのため落命した皇帝もあれば、王位を失った皇帝もあった。これらの反乱はつねにブレフスキュ歴代の皇帝に煽動(せんどう)されたものであって、反徒は鎮圧されると、だからいつもブレフスキュへ逃げて行ったのだ。また卵の小さい端を割るくらいなら死んだほうがましだと死刑に甘んじた者は前後数回、計一万一千人に上がっている。

 ちなみに、これがコンピュータにおけるビッグエンディアンとリトルエンディアンの語源となった話である。CPUアーキテクチャのコンセプトそのものに関わる話なので、どっちが良いとは言いがたい。
 そこが問題なのだ。
 こだわりがある限り、対立は無くならないのだ。愚かだとしか言えない行為だ。みんな、先入観を捨てて越境の思想を推進しようぜ。


#以上、何の役にも立たない無駄知識でした。