キリスト教の戦争肯定
米空軍が、有事の核ミサイル発射を担う将校向けの訓練の一環として、キリスト教の「聖戦」論を20年以上にわたり講義してきたことがわかった。「憲法の政教分離原則に違反する」との指摘を受け、今年7月末に突然、取りやめていた。
米空軍、核ミサイル発射担当将校にキリスト教で聖戦教育
だいたい宗教と戦争を結びつければすぐに戦闘行為や殺戮が正当化されるなんて、世界のテロ事件を見ていればわかるもんじゃんね。アホらしい。日本で言えば靖国教育をやっていたのと同じだ。これには問題があるとしか言えない。
聖書って、案外と戦闘行為に肯定的な文言が入っているんだよね。旧約聖書に主に顕著で、
主はいくさびと。その御名は主。
「出エジプト記」15-3
契約の箱が出発するときには、モーセはこう言っていた。「主よ。立ち上がってください。あなたの敵は散らされ、あなたを憎む者は、御前から逃げ去りますように。」
「民数記」10-35
などがあるんだけど、新約聖書にもそれらしき記述はある。
終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。
「エペソ」6-10〜13
キリスト教というと「右の頬を打たれたら左の頬を」という博愛のイメージが強いかもしれないが、実は、こういう文言も入っていたりするので、ちょっと用心しないといけないんだよね。
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