最初から目をそらす必要はどこにもない

 「はだしのゲン」について。とある市民による恫喝まがいのしつこい陳情に屈して閉架になった。これに対する反論として「名作だから」という理由は弱い。
 「残酷だから」とか「真偽が不明」という理由に対しての答にはなっていない。
 作者が見たこと、感じたこと、憤ったことをぶつけた作品であり、脚色こそあれその多くは現実のことだったのだろう。残酷だからという理由で、現実から目を背けるべきではない。残酷な現実と、いつかは向かい合わなければならない。
 確かに作品に対する評価や議論は必要だろう。しかし、一方的な撤去を求め、それに応じてしまった。そこに議論はない。

はだしのゲン―閲覧制限はすぐ撤回を
朝日新聞、社説、22/8/2013


 広島での被爆を主題にした漫画「はだしのゲン」を、松江市教委が小・中学校の図書館で自由に読めなくするよう指示していたことがわかり、全国から批判が相次いでいる。
 作品の終盤には、旧日本軍がアジアの人々の首を切断するなどの描写がある。市教委は昨年12月、「過激な表現だ」として、学校の許可なしで見られなくするよう校長会に求めた。貸し出しも認めないという。
 「ゲン」は昨年12月に死去した漫画家の中沢啓治(なかざわけいじ)さんの作品だ。実体験した原爆の惨状と戦後の苦難に加え、資料などで知った戦場の様子を強烈なタッチで描いて反響を呼んだ。
 学校図書館で読める数少ない漫画として「ゲン」を手に取り、初めて原爆に関心を持った子どもも少なくない。
 市教委の指示は、子どもたちのそうした出会いを奪いかねないものだ。しかも重要な決定の場合、公開の教育委員会議にかけるべきだが、今回は事務局の判断で決まっており、不透明というしかない。市教委はただちに指示を撤回すべきだ。
 きっかけは、ある男性から昨年8月に市議会に出された陳情書だった。「ありもしない日本軍の蛮行が掲載され、子どもたちに悪影響を及ぼす」*1とし、学校からの撤去を求めていた。
 陳情は不採択となったが、一部市議から「不良図書」ととらえ、市教委が適切な処置をすべきだとの意見があり、閲覧制限の指示につながった。
 「ゲン」には連載当時から「残酷」という声が寄せられ、中沢さんも描き方に悩んだと述懐している。旧軍の行為や昭和天皇の戦争責任*2を厳しく糾弾している点から、「偏向している」「反日漫画だ」*3といった批判も保守層の間で根強い。
 それでも、「ゲン」が高い評価を得たのは、自身が目の当たりにした戦争の残酷さを力いっぱい描くことで、「二度と戦争を起こしてはならない」と伝えようとした中沢さんの思いに子どもたちが共感したからだ。
 漫画を否定しがちだった先生たちが、限られた図書館予算の中から「ゲン」を積極的に受け入れたのも、作品のメッセージ力が強かったからこそだ。
 旧日本軍の行為や天皇の戦争責任をめぐっては今もさまざまな見方があり、「ゲン」に投影された中沢さんの歴史観にも議論はありえるだろう。
 それこそ、「ゲン」を題材に、子どもと大人が意見を交わし、一緒に考えていけばいい。最初から目をそらす必要はどこにもない


はだしのゲン わたしの遺書

はだしのゲン わたしの遺書

*1:要出典

*2:諸説あり

*3:反日」の定義が不明瞭