図書館という施設についてまとめてみる

 前のエントリに関してコメントが付いたんだけど、何だか図書館という施設に関して、「そもそも図書館の役割って何?」という問題が置き去りにされているような印象を受けたので、ちょっとまとめてみる。
 図書館って、決して「本がたくさん置いてあって、無料で読める、貸し出してもくれる」というだけの施設ではない。それでは単なる無料の貸本業と変わらない。
 じゃあ、図書館の役割とは何なのか? その根本にある理念って何なのか?
 そもそも、無料の貸本業との違いは、「単に利用者に無料で書籍などを提供することだけではない」という一点につきる。図書館とは、文化資産の収集、整理、保存、提供という役割を負っている場所なのだ。
 一度、日本図書館協会のWebサイトを読んでみるとわかることなんだけど、「図書館について」という文章の中に社会的な役割が書かれている。

いかなる状況の下でも、すべての人たちに情報を提供するのが「図書館の自由」(Intellectual freedom of libraries)なのだという理念を獲得するに至ります。アメリカでは「図書館の権利宣言」(Library bill of rights、1948年採択)、日本では「図書館の自由に関する宣言」(1954年採択)です。


 そして、「図書館の自由に関する宣言」には、最初にしっかりと目的が書かれてある。

図書館は、基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民に、資料と施設を提供することをもっとも重要な任務とする。


 そして、以下の項目に関して詳細に書かれている。

  • 第1 図書館は資料収集の自由を有する
  • 第2 図書館は資料提供の自由を有する
  • 第3 図書館は利用者の秘密を守る
  • 第4 図書館はすべての検閲に反対する


 さて、ここまでで、「妥当じゃない」という意見はあるだろうか?


 文化資産は保存されなければならない。こんなのは当然のことだろう。特定の表現物が「無かったことにされる」というのは、これまで歴史の中で犯してきた間違いを考えればすぐにわかる。だから、収集され、保存されなければならない。後になって、「資料がないから知るすべもない」では困るのだ。
 また、情報の提供には、知る自由、学問の自由なども含まれる。非常に重要な機能だ。そこに何らかの制限があっては自由が保証されなくなる。そういったことに制限をかけることがとても危険な行為だとは、誰もが納得することだろう。


 ただ、学校図書館というのは、利用対象が初めからわかっているので、それなりの配慮もある。「全国学校図書館協議会図書選定基準」には、次のようなことが書かれている。

20  まんが

  • (1) 絵の表現は優れているか。
  • (2) 俗悪な言葉を故意に使っていないか。
  • (3) 人間の尊厳性が守られているか。
  • (4) ストーリーの展開に無理がないか。
  • (5) 俗悪な表現で読者の心情に刺激を与えようとしていないか。
  • (6) 悪や不正が讃えられるような内容になっていないか。
  • (7) 戦争や暴力が、賛美されるような作品になっていないか。
  • (8) 学問的な真理や歴史上の事実が故意に歪められたり、無視されたりしていないか。
  • (9) 実在の人物については、公平な視野に立ち、事実に基づき正確に扱われているか。
  • (10) 読者対象にふさわしい作品となっているか。
  • (11) 原著のあるものは、原作の意が損なわれていないか。
  • (12) 造本や用紙が多数の読者の利用に耐えられるようになっているか。
  • (13) 完結されていないストーリーまんがは、原則として完結後、全巻を通して評価するものとする。


 ここで、人によっては上記のいくつかが問題だと感じるかもしれないが、日本図書館協会は、Webサイトにおいて、今回の件に対する見解として、「中沢啓治著「はだしのゲン」の利用制限について(要望)」という文章を公開し、その中で下記のように記している。

児童の権利に関する条約」(1989年11月20日,国連総会採択.1994年3月29日 国会承認)第13条は、子どもは「表現の自由についての権利」と「あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由」を保障されるとしています。同 条第2項は、この保障が除外される場合として「法律によって定められ、かつ次の目的のために必要とされるものに限る」として「(a) 他の者の権利又は信用の尊重 (b) 国の安全、公の秩序又は公衆の健康若しくは道徳の保護」としていますが、本件図書はこの除外要件には該当しないでしょう。


 この見解に対して、主張の妥当性をめぐって議論する余地はあるかと思う。ただ、今回の件は、そうした議論も無いまま、「一市民の要望(クレーマーによる恫喝)をきっかけとして、さしたる議論も手続きも無いまま閉架にしてしまったという、図書館の使命を最初から放棄してしまったような対応にあるという点、これが最も重要な論点だと考えている。


 ちなみに、アメリカの例を挙げると、「2000-2009年にかけて図書館からの撤去を求められた本のリスト」が公開されている。これをよく見てみると、なかなか興味深い。

 これって、どれも日本語に翻訳されていて、「名作」とされている作品ばかりだし、日本では何の問題も起きていないものばかりだよね。もちろん、こういった作品が問題視されるのには、それなりの理由はあるし、反論もがあるんだけど、それらのどれをとってみても日本人の観点からすると、いまいちピンと来ない。というか、とても納得できる理由じゃないんだよね。
 他の国から見たら、今回の話が同じように見えているって可能性って、考えたことない? 
 「人のふり見て我がふり直せ」とは言われるんだけど、ちょっと、そのへんを考えてみない?


 ちなみに、私は、「たとえ子供であろうとも、本人には自らの興味に従って本を選択する自由と権利がある。もし仮に、子供に本を与える際、その本の内容が、子供に読ませるべきものとして妥当かどうかを判断する資格を有する人物がいるのだとしたら、それができるのは第一に親。次があるとするのなら教師。そしてそもそも、図書館は最初から、このような判断をする場所ではない」と思っているんだけど、これって間違っている?


図書館戦争 図書館戦争シリーズ (1) (角川文庫)

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