言行不一致の極み
映画「靖国 YASUKUNI」の中心的出演者で刀匠の刈谷直治さん(90)夫妻=高知県在住=から有村治子参院議員(自民、比例)が事情を聴き「刈谷さんらは出演シーンの削除を希望している」と主張していることが分かった。李纓監督(44)は9日、共同通信のインタビューで「出演を納得してくれていた夫妻を変心させた。許せない介入だ」と訴えた。
自民議員が出演者聴取 “靖国”監督が反発
昨日のエントリ右翼語の翻訳求む!で紹介した稲田朋美の書いた原稿中に、
映画の「公開」について問題にする意思は全くなかったし、今もない。
私は弁護士出身の政治家として、民主政治の根幹である表現の自由を誰よりも大切に考えている。
とあるのだが、実際に国会議員から圧力めいた「聴取」があったということはどういうことなんだろうか?
嘘つく時にはもっと上手に言おうね。
というわけで、言論の自由を奪おうとしている「本当の売国奴」は自民の「伝統と創造の会」のほうだということが明確になった。
嘘つき! 卑怯者ども、恥を知れ!
キング、さすがに正論!
ホラー作家のスティーブン・キング氏が、米州の暴力的ビデオゲーム規制案を批判し、そうした規制は非民主的であり、子供の娯楽の監視は保護者の役目だと主張した。
スティーブン・キング、暴力ゲームの法規制に反対
同氏は、最も効果的なのは、子供が何を見たり読んだりしているのか、何をやっているのか、誰と遊んでいるのかを保護者が把握し、気にかけることだと述べている。
そうだよねー。ゲームだけじゃなくて、ネット規制とか、マンガ、アニメといった表現の規制って、実際のところは本末転倒の論理なんだよね。
「子供に何を見せて何を見せないか」というのは親が子供に与える教材を選択するという教育活動の一つだ。それすらせずに、「子供が入手できないようにする」というのは、親の教育が問題であるはずのものを最初から無視して、一方的に表現物を規制するという安易な方法で対策しようと言うことだ。
本来、子供の躾や教育は、親や教師の責任だ。今、何かと「子供が有害な情報に触れる機会が増えている」と言う論調がまかり通っているが、これって裏を返せば、「親や教師が子供に与える教材を選ぶ責任を放棄している」ってことだよね。
表現物に文句を付ける前に、自分たちが教育する義務を果たしているかどうか、自分の胸に手を当てて考えてみて欲しいものだ。その義務や責任を果たさず、安直に責任転嫁するというのは、「教育者失格」の烙印を押されても仕方がないということだよね。
と、いうわけで、政治家さんたちには、「矛先を向ける先が違うだろ!」とツッコミを入れようぜ!
村上春樹に賛成!
日本の小説家、村上春樹氏(59)が「日本人には、まだ戦争で犯したことに対して本当に反省する気持ちがない」と述べた。作品執筆のための取材活動をする過程で第2次世界大戦に対して深く察しながらそう考えるようになったという。
「日本人は第2次世界大戦を反省していない」村上春樹氏インタビュー
堅実な人が一瞬、残忍に突然変わる現象は、どこでもあり得るが日本人には特に強いというのだ。
そーだよねー。靖国神社に関して偏執狂的にこだわって政治的圧力でドキュメンタリー映画の公開を自粛に追い込んだり、千代田区1-1に住んでいる苗字の無い人達の事を未だに「様」で呼んで「万歳!」とか言っているんだもんねー。
だいたい、反省していたら、九段下にある変な神社の中にある「遊就館」とか言う建物に、回天とか桜花なんていう非人道的な「自殺用兵器」というか「人間爆弾」を展示するなんて無神経なことってしないよね。
いまでこそ、そんなことはしなくなったが、昔は平気でやっていて、それを当たり前のことだと考えていた。そして、そんな代物を平気で展示している。これじゃあ、「反省していない」って結論になるよねー。
こんな状態では、イスラム原理主義者による「自爆テロ」のことを非難できる立場じゃないよね。