永遠の宗教論争

先日とある飲み会に出席したところ、同席していた30代後半の女性2人が口論を始めた。口の端から泡を飛ばしていがみ合っているので、「いったい何が原因か?」と尋ねてみると、何と“松田聖子中森明菜、どちらが歌手として優れていたか”という議論でヒートアップしてしまったのだという。

“聖子派”と“明菜派”って何で仲が悪いの?

 これは確かに難しい問題だ。
 私はどちらかというと「明菜派」だし(でも、心は木之内みどり様に捧げているが)、今になっても松田聖子には何の興味も持てない。
 しかし、どちらが「勝ち組」かというと、これは書くまでもないだろう。
 どんな話題をも自分のイメージアップに変えてしまう松田聖子と、やることなすことが裏目に出ている中森明菜では、今となっては比べる事自体がおかしい、と言われてしまうかもしれない。
 とはいえ、当時は二大巨頭だった二人が、対照的な人生を過ごしてきたというのは興味深いことだ。これは単に生き方が器用か、不器用かの問題でも無いように思われる。セルフイメージのコントロール術を身につけているのか、いないのか、の違いでもあるのではなかろうか。
 または、周りから何を言われようとも、自分のスタイルを押し通して世間を「認知」させてきた松田聖子の強力な自我が抜きんでているというだけの話なのだろうか。で、中森明菜には残念ながらそれが無いと。
 一つ言えるのは、松田聖子は、自己演出術の天才だということだろう。この点だけは、事実として認めるのにやぶさかではない。実際、凄いと思うもん。
 でもまあ、中森明菜も少しずつではあるが浮上しつつあるし、戻ってくれれば、それはそれで楽しいから良いんだけどね。
 ところで、この二人って、不仲説と仲良し説の両方があるんだけど、真相はどっちなんだろうね。