いじめる側の論理は認めない

愛知県岡崎市の市立中学校で、2年生の男子生徒(14)が、同級生ら3人から暴行を受けて、腹部のやけどや両肩打撲など2週間のけがを負っていたことが17日、わかった。
被害を受けた男子生徒は11日、同校の2年生(14)、3年生(15)、卒業生(15)の男子3人から「鍛えてやる」と言われ、3年生の生徒宅に連れて行かれ、3人から両肩を殴られた。
さらに、「ズボンを脱げ」と言われ、腹部に殺虫剤をかけられてライターの火をつけられるなどの暴行を受け、やけどを負った。
さらに13日の帰宅途中にも、再び3人に3年生宅に連れて行かれ、両肩を殴られた後、無理やり蛇行運転する自転車後部に乗せられ、怖くなって降りようとしたところ、左足かかとが後輪にはさまってけがをした。

いじめで中2やけど 腹部に殺虫剤、着火 愛知・岡崎

 大勢で抵抗できない一人に対して暴力を振るうのは、サディストにとっては堪らない快楽だろう。特に、物を深く考えられない、他人の苦痛を想像できない若年層にとっては。
 そして、いじめに遭っている側は精神的に萎縮し、その様子がさらに暴力を加速させる。もし、いじめがバレなければ、いじめた側は何の問題もなく社会に出ることができ、暴力のことなど忘れてしまうのだろう。そして自分が大人の感覚を身につけた時、新聞などでいじめの記事を見て、自分が行ったことなど忘れて腹を立てる。
 だが、いじめられた側は一生精神に傷が残り、いじめの話を聞く度にフラッシュバックに襲われる。
 これでは、あまりにもアンフェアだ。
 犯罪というのは、根本的に元々アンフェアなものだ。だが、成長期の大事な時に大勢から暴力を受けたという記憶は、生半端な事では消えないだろう。それを考えると、一生の傷を与え、人間不信に至らせるという意味でいじめは絶対に起こってはならない事だ。
 今の世の中、表に出てこないいじめがかなりの数だけ横行しているのだろう、と想像すると、嫌になってくる。