この人は嫌いだけど発言には賛成
「若い人は朝青龍の問題一つとってもこれほどまでに人に嫌われ、一人になることを恐れ、敵を作らぬように生きている。いじめにあったりしていやになったら自殺しかないと考えてしまうのではないか」
「若者ははっきりモノを言え」 朝青龍恐れぬ内舘氏が持論展開
「若い人は断定をしない。常に自分の逃げ道をつくり、相手を傷つけないような物の言い方をしている」
「私の周りの若い人でも相手の顔色ばかり見ている小心者が多い。こういう人生が果たしていいのだろうか。敵が多いことも決して楽しいわけではないが、何を考えているかを明確に『言う』ということは、若いうちにこそ教育するべき。心優しいだけの小心者の国になってはいけない」
内舘牧子はあまり好きじゃない、というか嫌いなんだけど(^^;)、この発言には納得できる。
ただ、問題なのは主語が「若い人」であること。この傾向って、若者だけじゃなくて、みんなに言える事なんじゃないの? KYなんて言葉が流行っているわけだし。だから、「若い人」を「最近の人」と読み替えれば非常に据わりが良くなる。
自分が何か意見を言ったら、みんなが同じカルト教団にでも入っていない限り、別の考え方をする人がいるのは当然のことだ。だから、自然と異論や反論が出てくる。でも、よっぽど常軌を逸した意見で無い限り、理解してくれる人も増えるんだよね。それでいいじゃん。
宙ぶらりんな立場で、自分の意見も言わず、ウジウジしているくらいなら、思った事をはっきりと言って、敵を作ったって構わない。先にも書いたけど、賛同してくれる人だって増えるんだもんね。
そして、正反対の意見を持っている人でも、徹底的に話し合えば、理解できる可能性だってあるかもしれない。あ、理解する事と賛同する事は別の話ね。ただ、相手が「話の通じない宇宙人」から、「自分とは違うけど根拠のある主張を持っている人」に昇格する。これだけでも、かなりの収穫なんじゃないのかなぁ。
周りの人が何を考えているのかわからないから不安だ……などと、ビクビクしながら生活して行くのって、逆に疲れると思うんだよね。「敵を作るかもしれないから意見は言わない」という思考パターンなんて、「周りは自分の敵か味方のどちらかだけだ」という極端な二分法的思考が元になっているから、「華麗にスルー」とか、「まあ参考にはなるかもね」とか、「それも意見の一つだね」といった中間の立場に立つ人の存在を自ら消し去っちゃっているんだよね。
それってもったいないよね。自分の意見に対して、周りからどんな評価がされるのか、それって言わない限り反応は返ってこないじゃんね。だから、もし、極端に間違った事を考えちゃっていても、言わない限り誰も批判してくれないし、訂正する機会だって無いんだね。
そんなのって、人生で必ず損をするやり方だと思うなぁ。
だから、批判、反論、異論、賛同、スルー、生暖かくウォッチされる……といった多様な反応があるものだと割り切って、どんどん自分の意見を言って行くべきだと思うよ。周りからの反応が返ってくるということは、自分が物を判断する材料だって増えるってことなんだから。それって、すごくありがたい事だよね。
そんなわけで、意見は言わなきゃ損だよ。まあ、「世の中は言った者勝ちだ!」とまでは言わないけどさ(^^;