イエロージャーナリズム(w
5月に退任するロシアのプーチン大統領(55)が、今年2月にリュドミラ夫人(50)と既に離婚し、新体操のアテネ五輪金メダリストで与党「統一ロシア」所属の下院議員アリーナ・カバエワさん(24)と6月15日ごろに再婚するとロシア紙モスコフスキー・コレスポンデントが伝え、話題を広げている。
プーチン大統領が6月に再婚?
同紙はプーチン氏の婚礼式典開催のため入札に参加している業者に近い筋などの話として、プーチン氏のパスポートには既に出身地サンクトペテルブルク市の登録局の離婚印が押されているなどと伝えている。
一方、カバエワさんの広報担当者はプーチン氏との結婚説を否定し、大統領府も沈黙したまま。
どこの国に行っても、大衆紙というかイエロージャーナリズムって、売るためには手段を選ばないんだね。
こういう記事が出ると、他の大衆紙もこぞって憶測だけで記事を作り、話を流布するだろうから、あっという間に全世界へと配信されちゃうんだろうね。こまったものだ。
でも、世の中には、「東スポ」とか「夕刊フジ」とか「アサヒ芸能」とかのレベルで報じられるニュースを本当のことだと信じちゃう人も大勢いるらしいから、ロシア国内においてゴシップのレベルで日常的な話題になっちゃうかもしれない。そんな事態になったらプー様も激怒するだろうね。
ジャーナリズムとかの情報発信者側は、確かに「表現の自由」に守られているのだが、それは「何を書いても良い」という免罪符ではない。
私も表現者側、情報を発信する側の人間だが、「表現の自由」をこんなことには使いたくないし、嘘八百を流布するための口実には使いたくないね。
「自由」というのは、決して「勝手」という意味ではないのだ。本質的に、自由とは、自分の行動を自分で決め、それに対する責任を負うという前提があってこそ、初めてなりたつものだと考えている。それと、書きっぱなしの「勝手」を一緒にしてはダメだ。
「自由である事」には、不断の努力と、思考、そして覚悟が必要だ。ソ連時代の作家達が「自由な表現」をするために、どれだけの危険を背負い、それでもなおかつ自分の信念に従って行動したという例を知っているから、なおさら私はそう思う。
だから、「自由」という概念を「勝手」と解釈するのは間違いだ。「自由に発言する」という行為には、発言する側としての責任がついて回るという事を忘れてはいけない。
自由というのは大切な概念だ。だからこそ、自由という考え方を無理に拡大解釈し、乱用する行為に対しては否定的にならざるを得ない。
##ちなみに、新聞はもう謝罪記事を出したらしい(^^;