認めない負け、認めない勝ち
NHKで放送されたドキュメンタリー「負け続けてもなお…」を見た。
あるボクシングジムに焦点を当て、所属する選手たちの生き様を追った作品だ。
プロボクサーとして生計が立てられるのは、日本で数人くらいしかいない。ヘタにプロに専念してしまうと、引退後の人生には何の保証も無い。
それでもボクシングを続ける。負けが込んで、引退年齢に近くなって、家族までいて……でもボクシングをする。苦しい思いをして練習をする。
なぜ?
私には、理由がわかるような気がした。でも、私にはそんな生き方はできない。
なぜ?
その場で燃え尽きるのか、何かを追いかけ続けるのか、その価値観の違いなのだろう。
負けて悔しいから続ける。その気持ちはわかる。
勝って嬉しいから続ける。その気持ちもわかる。
でも、私にはできない。その場で勝つのではなくて、長い人生の中で最後に「勝ち」が多ければ、そのほうが実り多いと考えているからだ。
何にでも勝ち/負けがあるというわけではない。そんな単純な世界ではない。でも、心の中で勝った、とか、やった、とか思えれば、それで良いのだと思う。
私も、これまで試合をしてきた。
確かに、結果として負けであっても納得できない試合はあった。
逆に、結果として勝ちであっても納得できない試合もあったのだ。
要するに、「満足できる」とか、心の中で「勝った」と思えるということと、ルール上の勝ち/負けなんて、関係はないのだ。
だから、私は番組に出て来たプロボクサー達は素晴らしいと思ったが、残念だが私とは価値観が違うのだと思った。
試合に負けて引退を決め、男泣きをするボクサーが出てきたが、本当の試練はこれからだと思う。勝ち/負けの無い世界で、いかに自分の中で「やった!」と思えるように考え方を変えて行くのか。
スポーツ選手は素晴らしい仕事だと思う。しかし、その逆の意味で、勤め人も同じくらい素晴らしい仕事なのだ。
だから、私は個人として翻訳やライターとして専業にはならないと思う。というか、なれないと思う。売れた/売れなかったという数字が出る世界で勝負する体質じゃないからだ。
最後に、心の中で「勝った」と思える数を増やして行くのが私の生きる喜びなのだから。