「バリツ」を武術的に翻訳してみる

 「世界ふしぎ発見」で紹介されたバリツの真贋は正直なところわからないとしか言えない(だって、確かにバーティスであるという証拠も無いわけだし)んだけど、もし柔術に近いものだと仮定して、状況を想定したら、ホームズはどんな技を使ったのか、たいへん興味がある。
 そこで、「シャーロック・ホームズの帰還」に収録されている「空家の冒険」で、ホームズがバリツによってモリアティ教授のクラッチを抜けて投げるシーン。これが武術的にどういう身体操作なのかを意識しつつ、翻訳してみる。
 該当箇所はここ。

"He drew no weapon, but he rushed at me and threw his long arms around me. He knew that his own game was up, and was only anxious to revenge himself upon me. We tottered together upon the brink of the fall. I have some knowledge, however, of baritsu, or the Japanese system of wrestling, which has more than once been very useful to me. I slipped through his grip, and he with a horrible scream kicked madly for a few seconds, and clawed the air with both his hands. But for all his efforts he could not get his balance, and over he went. "

 二人の身体がどう動いたのか、その点に関してのみ最大の注意を払ってみると、こうにでもなるのかなぁ。

武器は持っていなかったものの、突進してきて長い腕を巻きつけてきたんだ。決着がついたことはわかっていたから、自らの手で私にやり返すことだけを考えていたんだ。私たちは滝つぼの間近で不安定な状態になった。とはいえ、私には日本の組技格闘技バリツの心得が少しあるんだけど、それが一度ならずともかなり役立っているんだ。私が掴みから抜けると、彼は背筋が凍るような悲鳴を上げてちょっと足をばたつかせ、両手で周りをかきむしったんだ。でもね、何をしようとも重心を保つことはできなくて、落ちて行ったんだ。

 ここで問題になるのが、モリアティ教授のタックルとクラッチの状態。正面からなのか横や後からなのか。締めたのは首なのか、胴体なのか。胴体ならば、腕ごとなのか、ホームズの両腕は空いていたのか。
 正面からだとしたら、首をつかんでくる確率は低いんじゃないかと考えられる。というのも、たぶん胴体に両手を巻きつけて、そのまま押出を狙ったんじゃないかと考えられるから。つまり、二人とも一緒に滝つぼに落ちるという捨て身の作戦ということだよね。正面からの胴タックルとクラッチなのだとして、ホームズの両手が空いているのだとしたら、腰を引いて持ちこたえれば、そこでもう身体の密着はなくなって隙間ができているので、両手か両肘でモリアティ教授の腕を下に押して抜け、そのまま横に投げたことになる。これは相撲でも柔術でもレスリングでも共通した方法なので、何の問題も無い。両腕もろとも掴まれたのだとしたら、同じ方法で隙間を作り、身体を開きつつ腕を開けば、そのままモリアティ教授の脇を差せるので、払い腰とか、潜り込んで無双に行くといった方法は可能。
 では後とか横からならどうなるのか。
 首を狙ってきた場合、バランスを崩したという記述から、締めは完全ではなくても、それなりに強く入っていた事にはなる(締めが強く入っていたら、脱出するのはかなり困難)。となると、考えられるのは、肘で当て身を入れるなりの方法でモリアティ教授を怯ませ、その隙に腕を上方に押し上げて頭を抜き、モリアティ教授の腕をつかんだまま投げに入ったという可能性が高い。この場合には、技の特定はできないんだけど、かなり有利な位置にいることになるので、組技の心得があるのなら十分にできる。
 後方から胴体を狙われた場合、両腕が空いたままだったとすると、なんとかこらえて腰を落とし、腕を押し下げながら回転すれば抜ける。となると、ホームズはモリアティ教授の側面にいるので、腕と首を取って崩すとか、まあ柔術の基本セオリーに入ることができる。
 腕ごとだった場合。これが難しい。たとえば、身体を斜めに傾かせるようにして腰を落とすことで隙間を作り、腕を取りながら相手の脇の下をくぐれば技をかけられる位置に行ける。
 でも、もしモリアティ教授が勢い良く入ってきたら、それに耐えるとなると、両腕でのバランスが取れないので、かなり深くまで腰を落とさなければならない。となると、寝技の攻防に入ってしまうので、そのまま投げられる位置に行けるかどうか、私にはわらないとしか言えない。
 したがって、後から両腕ごと勢い良く掴んできたという状況では無かったんじゃないか。その他の場合、技の特定は不可能なんだけど、十分に対応できたはず。というのが結論なのかなぁ。
 というか、一対一の対決で、後を見せる人はいないから、前段に書いた対処方法のどれかだったんじゃないのかなぁ。
 これが現段階での推論ね。

#ちなみに、元になっているとされる格闘技バーティスのスペルは「Bartitsu」。コナン・ドイルがスペルミスをした可能性も考えられる訳で(真ん中のtを書き損じたらバリツになる)。。。

##そして、手元にあるイギリスで出版された書籍によると、バーティスに関しては、テレビで紹介された説明で間違ってはいない。

シャーロック・ホームズの帰還 (新潮文庫)

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