正しい「武力」なんてあるのか?

自衛隊イラク派遣を違憲とした17日の名古屋高裁判決を受け、4年以上にわたって訴え続けてきた原告たちや弁護団は、思い思いの言葉で喜びを表した。判決を手に、政府に対して派遣の中止や隊員の帰還などを求めていくことも確認した。
イラクで行われている空輸活動は、憲法9条に違反する活動を含んでいる」
自衛隊イラク派兵が違憲であること、平和的生存権が具体性を持つ権利であることの2点をきわめて明解に認めた歴史に残る判決だ。期待以上の内容に涙を禁じ得なかった。今まさに進行中の政策が『違憲』と断罪されたことに、政府がどう応えるか注目したい」

違憲判決、原告ら「9条は生きている」

菅氏は「自衛隊が活動する地域が非戦闘地域」とした小泉純一郎元首相の過去の国会答弁に触れ、「インチキ答弁が裁判所によって否定された」と指摘した。
共産党穀田恵二国対委員長は「本当に優れた画期的な判決だ。今こそ自衛隊は撤退すべきだと主張したい」と表明。

違憲判断を評価、政府追及へ=空自派遣中止を−野党・自衛隊派遣訴訟

 だいたい、イラク戦争は、アメリカが石油利権を獲得するため、大量虐殺兵器を隠しているという「言いがかり」を大義名分にして始めた一方的な侵略・虐殺行為だ。全面的に信用するのは危険だが、マイケル・ムーア監督の「華氏911」でも、そのことは指摘されている。
 そんな利己的な戦争に対して日本が力を貸すというのは、いくら日米安保条約があるからといって、許されるべき事ではないだろう。そもそも日米安保と、日本のイラク戦争への協力は別の話だ。

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 こんなシンプルかつわかりやすい条文のどこをどうひねくり回せば、海外への自衛隊派遣が合法という解釈ができるのか、私には全く理解不可能だ。今回の判決は「当たり前のことを当たり前だ」と言ったにすぎないと思う。
 だが、現在、「当たり前のことを当たり前だ」と言えない、言わせないという雰囲気が漂っている。または、「当たり前かもしれないけど、そんなの関係ねぇ!」と強弁しているだけのようにも見える。
 日本の最高法規で決められていることなんだから、それを破るというのは、日本の法制度を全否定する行為だ。そんな矛盾を抱えたまま、というか、やっている本人達もこの矛盾には気が付いているのだろうが、見て見ぬふり、考えていないふりをしながら、「合憲だ」と強弁することで正当化している。
 こんなアンバランスな状態が健全であるとはとても言い難い。日本は現在、そんな危うい立場で危険な事を行っているのだ。
 これって、自民党公明党に投票し、現政権を支持した人達、みんなの責任なんだということをわかってもらいたいものだと思う。
 いい加減、宗教や所属団体、利権だけで投票するのはやめにして、「本当に良い日本の未来」を作るためにはどうしたら良いのか、それを考えて一票を投じる時代になっているのだと思う。

余計なお世話じゃない?

今夏からテレビ画面に「アナログ」という共通の文字スーパーが流される。地上デジタル放送(地デジ)への完全移行をPRする。
今夏からアナログ放送で「アナログ」という文字を流す。一定期間を置き、画面の下部に「アナログ放送は2011年7月24日で終了します」といったスーパーを入れる2段階方式。番組を録画しても文字スーパーは残る。

「アナログ放送終わります」テレビ画面に常時字幕へ

 あのーーーー、すんませんけど、我が家はテレビこそディジタルに対応しているからディジタル放送で観ているんだけど、HDD/DVD録画機はまだアナログチューナーしか入っていないんですけど……。
 そ・し・て、私は生活時間帯に制限が多いので、TV番組は録画して見る事のほうが多いのだが、わざわざ試聴の邪魔になる字幕が入っちゃうわけ?
 それって酷くない?
 一応、2011年までには録画機も古くなるだろうからディジタル対応のものにしようとは考えている。ディジタルで録画できるのであればそうしたい。そんなの当たり前じゃん。
 でも、それまでは今の機器を普通に使わせてくれない? ディジタル放送の強みも便利さもわかっているんだけど、でもまだ使える機器を買い換えるのはもったいないからさぁ。 
 何で政府って、こんなに強行的で、国民の生活水準とか、経済的な事情とか、利便性を考えないのかなぁ。理解に苦しむよ。

イエロージャーナリズム(w

5月に退任するロシアのプーチン大統領(55)が、今年2月にリュドミラ夫人(50)と既に離婚し、新体操のアテネ五輪金メダリストで与党「統一ロシア」所属の下院議員アリーナ・カバエワさん(24)と6月15日ごろに再婚するとロシア紙モスコフスキー・コレスポンデントが伝え、話題を広げている。
同紙はプーチン氏の婚礼式典開催のため入札に参加している業者に近い筋などの話として、プーチン氏のパスポートには既に出身地サンクトペテルブルク市の登録局の離婚印が押されているなどと伝えている。
一方、カバエワさんの広報担当者はプーチン氏との結婚説を否定し、大統領府も沈黙したまま。

プーチン大統領が6月に再婚?

 どこの国に行っても、大衆紙というかイエロージャーナリズムって、売るためには手段を選ばないんだね。
 こういう記事が出ると、他の大衆紙もこぞって憶測だけで記事を作り、話を流布するだろうから、あっという間に全世界へと配信されちゃうんだろうね。こまったものだ。
 でも、世の中には、「東スポ」とか「夕刊フジ」とか「アサヒ芸能」とかのレベルで報じられるニュースを本当のことだと信じちゃう人も大勢いるらしいから、ロシア国内においてゴシップのレベルで日常的な話題になっちゃうかもしれない。そんな事態になったらプー様も激怒するだろうね。
 ジャーナリズムとかの情報発信者側は、確かに「表現の自由」に守られているのだが、それは「何を書いても良い」という免罪符ではない。
 私も表現者側、情報を発信する側の人間だが、「表現の自由」をこんなことには使いたくないし、嘘八百を流布するための口実には使いたくないね。
 「自由」というのは、決して「勝手」という意味ではないのだ。本質的に、自由とは、自分の行動を自分で決め、それに対する責任を負うという前提があってこそ、初めてなりたつものだと考えている。それと、書きっぱなしの「勝手」を一緒にしてはダメだ。
 「自由である事」には、不断の努力と、思考、そして覚悟が必要だ。ソ連時代の作家達が「自由な表現」をするために、どれだけの危険を背負い、それでもなおかつ自分の信念に従って行動したという例を知っているから、なおさら私はそう思う。
 だから、「自由」という概念を「勝手」と解釈するのは間違いだ。「自由に発言する」という行為には、発言する側としての責任がついて回るという事を忘れてはいけない。
 自由というのは大切な概念だ。だからこそ、自由という考え方を無理に拡大解釈し、乱用する行為に対しては否定的にならざるを得ない。


##ちなみに、新聞はもう謝罪記事を出したらしい(^^;

内藤大助に俺が泣いた!

 寝ようかと思っていたが、内藤大助選手の特集番組があったので観た。
 泣けた……。ボロボロに泣けた。
 自分が得た力は自分のために使うんじゃない。見てもらっている人、応援してもらっている人のために使うのだ。
 うん。格好良い。
 実際、私も、自分が得たスキルは自分のためだけに使ってはいけない、社会に役立つように使わなければならないと思っているので、非常に共感できた。
 たとえ、ボクシングを始めた原因が「いじめを受けた」ことであろうと、強くなった今は、力ではなく心で負けない、「嫌なことは嫌、駄目なものは駄目といえる勇気を得た事」が自信だと言い切った内藤に男の生き様を感じた。
 内藤大助選手、立派だ。